アアッ、アーッ、アアッ

 未定の予定だったが、もろもろの理由で福岡アジア美術館にいくことに。「ヘミングウェイ」で弁当を買って腹ごしらえ、いざ美術館へ。フィリピンの現代芸術と常設展を。もともと芸術を見る目はアリンコ並みなので私に審美眼など期待できないのだが、そんな私でもそれなりに面白かった。中でも、川で溺れて死んだ姿を在りし日の自分が覗いているという彫刻と絵画のちゃんぽん芸術がとても良かった(そんな評価でいいのか?)。その後、ちょっと一服しようと喫茶店を探していたら、何の因果かキャナルまで歩くことに。結局、入った店はケンチキ。やや買い物、その後天神まで出て屋台で飲む。サッカー談義で盛り上がっていたら、女将さんから「ところでアビスパは?」と聞かれしばし固まる。おお、そういえば入れ替え戦だった。結果、アウェイゴールの差でまたもや降格。あーあ、とかいいながら芋のお湯割をおでんを肴に連発で飲み、特急列車に未来を預け、轟沈。もちろん、嫁に起こされ、帰路に着くのであった。と、酒の勢いでここまで書いてみた。
 昨晩、テレビでやっていた『ホームアローン』に背中を向けながら聞いていたところ、どうも英語のすぐ後に、というよりもそれと殆ど同時に日本語が聞こえる。おっ、ついに柴○元×が降りてきたのかオレにも(他に誰かいるのか?)、と小躍りしようとした瞬間、副音声と主音声とが同時に流れる設定になっていることに気付き、がっかり。なわきゃない。
 http://gyorai.blogspot.com/の12/5「紳士とはなんぞや」より。

「あ、あああ」とうめいたり、「アアッ、アーッ、アアッ」と大声をたてたりする。『ぐうたら生活入門』では、若い男と書いてある。わたしも二十代後半くらいがピークで、このごろは過去にさいなまれる回数が減ってきた。
 過去の恥を糧にして、すこしは立居振舞がましになったおかげだとおもいたいが、神経が鈍くなってきているのかもしれない。
 でもこの「アアッ、アーッ、アアッ」はとても大事な感覚だとおもっている。これをなくすと、「紳士」とはいえなくなるし、「友として語るに足りぬ」人間になってしまう。
 いまでも深酒した翌日などは、よく自己嫌悪におちいる。
 でもどこか余裕がでてきた。「ああ、まだまだこの感覚がのこっているんだ」というふうにさえおもうことがある。
 しかしどうにもならなかった自己嫌悪が、熱いシャワーを浴びて、ちょっと汗をかくだけでもずいぶん楽になることがわかった。
 でも二十代のころには家に風呂がなかった。

 今頃、先日の宴での自分の立ち振る舞い(思い出せない部分も含めて)に「アアッ、アーッ、アアッ」。私の場合、あまりに程度が酷く、そして頻繁であるため、端から「紳士」などという問いからは外れている。酒飲まなきゃいいのに、と自分に言い聞かす。ストレス発散してんだか溜めてんだか、いつもわからなくなる。