美しい国

 朝からファミレスで論の構成を整え、時たま読書しながら、大昔に読んだ研究書の細部を召還する。二度手間。裁量労働制導入、ということで嫁さんもお供に加わり、時々安倍晋三トーク。多分、エビチリ。

 『美しい国』。自伝あるいは単なるエッセーならいいが、すでにこのキャッチフレーズはマニフェストになっている観すらあるわけで、公私混同甚だしいというのが素直な感想か。そりゃ公人たれど私人の顔がちょいちょい覗くわけだし、選挙の時には人柄なんてものが評価されたりするわけだから、公人と私人とが切れるわけ無いということぐらいは分かっている。でも、あなたは公僕なのだから、せめて自分の思いを堪えて公に奉仕している、というポーズぐらいは取らなきゃならないのでは。もちろん、郷土愛とか国家愛を信じるのは自由だし、信念として保持してもらっても構わないのだけれど、それを滑らかに何の違和も無く公のレベルに接続して、マニフェストにしてしまうのはいかがなものか。政府専用機で実家に帰ったりしてませんか? 公用車でキャバクラ行ったりしてませんか? 
 問題はそれだけではないですねえ。薄っぺらいですねえ、愛国心が。あなたが説いているのは所詮は、東京オリンピックあたりを頂点とする「古き良き日本」のイメージに対する無条件の忠誠。愛の対象は常にすでに所与のもので、解釈の余地は無い。「日本人なのだから日本を愛せ(日本に忠誠を誓え)」といっているようなもの(「日本人」って何? それは日本に住んでいる人だよ。じゃあ「日本」って何? それは日本人が住む場所だよ。 じゃあ・・・)。あなたはそれでいいかもしれないけど、「心の問題」なので。でも、それが公に適用されてしまうってのはいかがなものでしょう。そんな薄っぺらい「カントリー・アイデンティティ」をみんな信じなきゃならないわけですか? 日本を変えようと頑張ってらっしゃることは理解します。ですが、「日本」という概念もまた変わるものだし、変えていかなきゃなんないんじゃないんですか。東京オリンピックなんて全く見たことないし(生まれてないし)、田中角栄だって田中真紀子のものまねで聞く程度の僕らの日本像って、それでもやっぱり「美しい国」じゃないとダメですか? いやあ、ダメなら頑張って角栄のものまね、精進します。「いや〜、まぁそのぉ」。あれ? 難しいな。ちなみに、南北戦争と太平洋戦争を同列において、靖国参拝を肯定してますけど、南部兵と戦犯って一緒にしちゃって大丈夫ですか。あと、ジェンダーフリーが性差を無くそうとしているならそりゃ問題でしょうけど(可能だとして)、そうじゃないんじゃないですかねえ。あくまで、性差が問題にならない社会を目指しているのでは? 独り言です。