思想の死相/死相の思想

 もろもろ。さわら焼。
 暗いニュースが多い中、麒麟の貧乏な方(?)の行方不明になっていたおとうさんが霊能力者のおかげで見つかったというニュースは微かな光明。もう解散しないように。第2次霊能力者ブーム到来か。

思想の死相―知の巨人は死をどう見つめていたのか

思想の死相―知の巨人は死をどう見つめていたのか

 寝る前にちょびちょび読んで読了。「生き生き」としているものに痛打を加える前著デリダの遺言―「生き生き」とした思想を語る死者への続編。今度は思想家単位で「生き生き」批判が繰り広げられている。「生き生き」というのは、現前や覚醒、運動、アイデンティティ・ポリティックスなどなど、本物らしさを装ったよくよく考えると嘘っぽいものの総称のようで、主として左翼批判に動員されている。けれども、前著に比べるとやや穏当になったかなあ、という印象。実名を挙げての批判はゼロ。
 しかし、よい入門書。個人的には、ベンヤミンを、文明の先端に廃墟を見出し、進歩を回帰と同義のものと位置づけた思想家として読むところとか、デリダの晩年の著作に注目して、デリダが他者への無限の応答責任を担保する他者の他者性として「神」(ただし死神)のようなものを想定していると論じるところとか。「もう少しわかりやすくいうと、『生・権力』とは『人間でありつづけなければならない』と感じさせるプレッシャーです」なんていうフレーズに感心したり。「バカボンのパパは超人なのか」なんかは特によい。マルクスラカンのところは、若干他の批評家で回り道をしているうちに終わってしまうような、なんかお茶を濁した感じもする。前者はマルクス疎外論からの撤退とルカーチによるその復活をテーマに据えて、古今東西マルクス主義者の論を追うもので、後者はほぼドゥルシラ・コーネルの紹介に近い(コーネル本の訳者でもある)。けれども、これはこれで著者の色がよく出ていてよいのではないか。最後にスローターダイク(全然知らなかった)が入っているのは、著者自身も言及しているように、著者がスローターダイクに似ているからなんだろう。生き生きの怖さを身をもって体験している方が書いているだけに、説得力がかなりある一冊。