自由

 やや回復。相変わらず味がわからないけども。

「自由」は定義できるか(木星叢書)

「自由」は定義できるか(木星叢書)

 相変わらずの仲正節。今度は兎角合意の難しい自由について語る。ホッブスやルソー、ロックといった政治思想をわかりやすくおさらいしながら、自由の周りをぐるぐる廻る。一般意思としての自由を実現させることの難しさを見たあとには、経済活動を織り込んだより現代的な自由について。ロールズを取り巻くリバタリアンコミュニタリアンの相克を中心に自由について考える。と、そこまでふるまいの自由(外側の自由)について概観したところで、踵を返し、今度は心の自由(内側の自由)について。アウグスティヌス、ルター、カント、それからコーネルへ。ここらへんは、「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)での主張をレンジでチンしてスパイスをふりかけたような感じ(褒めてます)。
 タイトル自体を否定するような展開は予定調和なれど、「自由」には「自由」について自由に考える自由も含まれる以上、むしろ当たり前といえるのでは。かっちりと定義された自由を前提に討議する局面もある人にはあるのかもしれないけど、ほとんどの場合、自由は曖昧に語られる。曖昧だからこそ、論じる対象として自由は魅力的に映る。「自由」について自由に考える自由について自由に語った本書は、自由を定点としては扱わない。ここではむしろ、自由はロストボールのようなもの。ボールがあってこそのゲームかもしれないけど、ボールを見つけるゲームだってなかなか楽しい。私はボール探しのほうが好きなのかもなあ。へたくそだけど。