髪を切る

 床屋に行くのが苦手だ。
 大学生のころまでには、散髪は難行苦行リストの上位に入っていたと思う。昔の写真をみるとだいたい長髪か坊主のどちらかが写っている。半年に一回髪を切ればましなほうだし、一年以上切らないこともある。そして長髪に手を加えるときは、ほとんど決まって剃髪に近いことになる。
 床屋の何がだめなんだろうと考えてみる。まず世間話が苦手。そして他人にいろんな主導権を譲り渡してしまうと落ち着かない。おまけに人に頭を触られるのが大嫌い。ふつうの人はまったく苦にしないだろう。床屋への道は、小学生の通学路のように守られている快適な道だろう。なにをくだらないことで・・・と切り捨てられたとしても、わたしは黙って斬られる。そのとおりだろうから。でも、わたしにとっては床屋に辿りつくまでの道のりは、躓きの「岩」だらけのオフロード。おかげで床屋からめっきり足が遠のいてしまう。
 それでもきっかけがあれば重い腰も上がる。明後日、パリに向けて発つ。そういうわけで行きつけの(といってもインターバルが空きすぎて、そう呼ぶことを憚ってしまうのだけど)床屋へ行ってきた。毎度感心するが、ご主人は必ずわたしのことを覚えている。たいした記憶力だなあ、と感心する一方で、こんな変な客もそうそういないだろうから覚えられて当然か、という気もしてくる。
 いつものやつで、と言おうとしたら、ブロックにしませんか、ということで、まあ腕は確かなご主人なので、じゃあおまかせします、と安請け合いする。
 イアン・ギランとかマーティ・フリードマンの頭を想像してもらいましょう。そういう野生的な(人跡未踏のジャングルのような)頭を、左右と後ろを襟足から耳の後ろに両の掌がおさまるぐらいのところまで短く刈って、残った長髪を後ろへ櫛で撫でつけて、後ろで束ねる。
 できあがりは、T・久保田みたいだ。聴いたこともないラテン系のミュージックが流れて、アフリカ系のリズムが脈打つ。赤黒の麦わら帽で大きな勘違いに蓋をして店を出る。
 結果、やっぱりべた足を踏んで家に帰る。やっぱり演歌だ。