サイコロジカル・ボディ・ブルース

 福岡発インチョン経由シャルル・ド・ゴール。機内の友は『サイコロジカル・ボディ・ブルース・解凍』。実に短命に終わったことに愕然とする日本の総合格闘技シーンを思いながら、すし詰めの機内で身を固くし、漠とした(主にパニック的な)不安と内なる戦いを続ける。今や格闘技界はフリーズ、わたしもフリーズ。
 そして解凍が始まる。
 アパルトマンオーナーに派遣された車がお出迎え。木工所でブラジル人とインドネシア人が日本語を土俵代わりに、得体のしれない異種格闘技戦に臨んでいたあの頃を思えば、母語ではない英語を介したやりとりは決して珍奇な光景ではない。
 今ではプロミュージシャンを目指すフランス青年は、かつては音楽家への道とフリーファイターへのけものみちとの相克に悩んだという。弁証法が必要とする距離や段差を音楽と格闘技は確保しているのだろうか。いややはり舞踏や律動を根拠とするもの同志、それらもあらゆるほかのものと同じように、平面の上で戯れるひとつの夢に違いない。夢の幻灯機は、ひとつの相貌をこちらへと向ける。目の焦点が合う前に、たちまち貌は別の貌へとすり替わる。どれも同じひとつの光だというのに。
 アパルトマンでの軽いやりとり。窓越しには、ライトアップされたエッフェル塔と深夜までデスクに向かうビジネスマンの淡い輪郭。バスタブに湯を溜め、霜がおりたままの体をほぐす。カップラーメンをすすり、薬を喉の奥へしまうと、すぐに眠りがやってくる。
 夜。
 また朝が来る。窓越しには印象派の曇り空。池の水面に映る雲のような空。太陽が雲を背中から炙って、今日の天気の曖昧さを伝えている。
 そして今、窓の外、ガラスを破ればハグができそうな距離で、幾人かの作業員がアパルトマンの工事を始めている。働いている。ゴオーという音は、わたしが今パリにいる、という揺るぎない現実感を連れてくる。わたしの芯を貫く。でも、わたしを貫いているのはドリルの音ではなくて、洗濯機の回る音。
 今日のわたしは何デシベルだろう。

サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍 (白夜ライブラリー001)

サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍 (白夜ライブラリー001)