三沢光晴

理想主義者 (ランダムハウス講談社文庫)

理想主義者 (ランダムハウス講談社文庫)

 試合中の頸椎離断で三沢がこの世を去ってからもう三年も経つのか、と感傷に浸る。真面目で頑固な人柄が偲ばれる。
 ひとつ勘違いに気づかされたのは、三沢自身が煌びやかな演出を好んでいたわけではないということ。馬場が死んだあと全日本を背負うことになった三沢が、あっさり新団体NOAHを立ち上げたときは唖然とした。当時の私は、全日本に残った渕や川田利明のほうに同情的だったのを覚えている。NOAHで展開されたプロレスは、馬場体制では実現しなかっただろうショウマンシップに溢れたもので、地味な技が大きな意味を持っていた全日本とは一線を画すファイトスタイルだと私は感じた。三沢はもっと派手派手しいプロレスがしたくてNOAHを立ち上げたのだと、私は勝手に思っていた。
 けれども、これを読む限り、三沢自身がプロレスの演出に拘っていたとは思えない。むしろ三沢自身のプロレス観は、馬場のそれを純粋培養したような昭和の古い雰囲気に満ちている。危険な技を好まないところ、リングの上だけで勝負をするところ、客とのコミュニケーションを重んじるところ、基本技術にうるさいところ。レスラーとしての三沢は、死んだ今でも全日本所属のままなのだろう。
 しかし、経営者となるとそうもいかない。下からの突き上げを団体の活力に変えていくためには、新しい感覚を受け入れられるだけの度量と「ハコ」が必要になる。古い価値観は、新しさに洗われて初めてうまく活きる。三沢が経営者の立場に立った時、馬場の威光、そして元子夫人の枷から解き放たれて、若者たちが担う新しいプロレスを育てたいと思ったとしても不思議ではない。だとしたら、NOAHという方舟は、経営者・三沢の度量の賜物だろう。
 きっと三沢の凄みはレスラーとして古さを維持したまま、経営者として柔軟に立ちまわれるところにあるのだろう。今から思えばそうした三沢という人間が孕むギャップは、彼がバラエティ番組で見せる寡黙な含羞とまさかのシモネタに濃縮されていたのかもしれない。
 そして三沢は馬場よりも大きいかもしれない。確かに馬場は保守的だった。全日本を守るために。けれども、三沢はもっと保守的だ。ひとつの団体よりずっと大きいプロレスを守るために。