『ピダハン』ツイート

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 エヴェレット『ピダハン』読了。アマゾン奥地に暮らす集団「ピダハン」の言語を学びつつ、参与観察し、彼らに福音をもたらすべく布教に努めたある家族の実話。前半ではさながら冒険小説風に居住体験やピダハンの風習が描かれ、後半では彼らの文化と言語の関係についてやや分析的に描かれている。
 チョムスキーの理論が立ちゆかなくなる現場に読者は立ち会う。「わたしたちに残されるのは、言語を回転させる機構に過ぎない文法よりも、世界各地のそれぞれの文化に根ざした意味と、文化による発話の制限とが重要視される理論だ」。
 文法というメタ言語が通用しなくなる言語の現場(まるでド・マンの世界だ)では、言語心理学より言語人類学こそが問われる。理論から事例を引きだすのは、理論を抽象的に理解したものが理論の理解度を自らに問う以上の意味はない。事例を理解しても理論を理解したことにはならないから。
 理論を理解しても事例はことごとくそれを裏切るから。理論は抽象的なまま理解するしかない。そうした理論と実践における断絶がここにはある。けれども、理論の例外は新しい理論を求める。その例外は言語学を、そして人類学を豊かにする。
 問われるのは学問だけではない。フィールドワーカーのポジションもまた問われる。逆転移をこれほど鮮やかに描き出した書物を寡聞にして知らない。衝撃のラスト。〆