『思想二月号:来たるべき生権力論のために』里見=久保論文・金森論文について

 里見=久保論文は、生権力を改変する力を、フィールドの分析を通じて析出し、理論化したメアリ・ストラザーンの仕事を紹介する論文。身体の内部に社会性を包含する通過儀礼に特徴的なように、メラニシアには自己の内包を豊かにすることが翻って社会性の外延を豊かにするという《身体と社会関係の入れ子構造》が見られる。ストラザーンはこの類比によって生み出される意味や関連を「比較の実践」として理論化する。入れ子理論は生命科学にも拡張され、自然‐文化間の相互横断的なconception(妊娠/概念)の関係として生命は捉え直される。内包と外延がそれぞれの豊かさを同期させるドゥルーズ的な入れ子理論は、互いが互いを包含し合う他者理解の理論、並びに「集積回路」の民族誌を編む。他文化の包含によって自文化の内包を豊かにしつつ、両者の差異によって自文化の外延を広げる。かかる理論と実践の入れ子的睦みあいを通じ、アガンベン生政治の「排除と包摂の論理」はその内側から変容を余儀なくされる。
 金森論文は、人間の生からの疎外、ないしは生の管理といった抽象的な生権力論から距離を置き、科学思想の観点から、生の改変、人間/動物の閾の揺らぎという身近な現実の生政治の倫理を俎上に載せている。安部公房狂言回しに語られるのは、細菌の遺伝子を組み換えて新しい細菌を生みだす合成生物学、合成生物学が下野し日曜大工的に営まれる「DIY生物学」、人間が人間であるために必要最小限のゲノムを確定しようとする「ミニマル・ゲノム」といった生物学の動向。金森は方法論が先行した生物学の目的を問う必要性を訴える。方法の刷新にのめり込む研究環境の中に目的への問いを組み込まなければならない。逃げる猫に鈴をつけにいく、生政治の実践的倫理の課題がここにある。