新歴史主義考

韓国の7歳の少年が大学生になったという。この手の話は世界各国で聞かれるが、後に大科学者になったという話は聞かない。大学に入学するまでの勉強とそれ以降の勉強は別物ということか。だいたい酒も飲めないのに大学行って、何が楽しいのかわからない。この手のエリート話は話題性十分だが、将来性は疑問符。

「とくだね」にて。ジャネット・ジャクソンが激太り。マラドーナみたいになっていた。乳出して以来仕事ないのか。ハリウッドスターの素顔。ホイットニー・ヒューストンは唯のばばあだった。夢を与える商売だから、パブリックな場できれいだったらそれでいいのだろうけど。ビョークバンコクの空港で記者と乱闘。もともと頭おかしそうな人だけど、やっぱりという印象。でも歌が凄ければそれでいい。

中国産キムチに大量の寄生虫の卵が混入との報道が。昔ながらの農法で作っているところに大量生産・大量消費の資本主義の論理が入ってきたもんだから、こんなことになる。まあ、寄生虫は長い間人間と共生してきたわけで、なんら害はないのだけど。ただ気持ちが悪いというお話。「九スポ」のカイチュウ博士に学ぼう。

 新歴史主義なる批評動向が軌道に乗り始めて約20年が経過した。ちょっと新歴史主義について考えてみたい。統一体としてのテクストを標榜したニュークリティシズムの批判として、テクストの解体とシニフィアンの乱反射を理論化した脱構築批評が出現したように、新歴史主義もまた脱構築批評に対するある種のアンチテーゼとして論じられてきたように思う。脱構築批評は、テクスト内部における意味という解釈の中心が、その実根源的な不在によって絶えず再解釈にさらされている、という批評史上での解釈の変遷を顧みれば至極当然の結論を導き出した。いうなれば、テクストの静態を追求したのがニュークリティシズムであったならば、権威の固定化を絶えず阻む(脱構築は正義)脱構築批評は、テクストの動態を突きつけた、ということになろうか。もっとも、もう何もいうことのなくなった時代の古い作家を専門とする批評家たちを喜ばせもした脱構築は、テクスト内部にその対象を限定するものとして「主義」化してしまったために、Edward Saidなどのイデオロギーヘゲモニーに敏感な批評家によってテクストの内部に留まることと非政治化の共犯性を糾弾されるに至り、急激に求心力を失うことになった。もとより、ラカンの「無意識は言語のように構造化されている」テーゼに似たデリダの「テクストの外部はない」テーゼをよくよく考えるならば、文学テクストの外もテクストの世界なわけで、そうした意味では「脱構築主義」の操たる文学テクストの内部/外部の構造もまた脱構築されて際限なく拡大していくのは当然の帰結だった。新歴史主義は、そうした土壌の中で確実に醸成されていった。
 新歴史主義が明確な形を採るのは、1989年に出版されたThe New Historicism (Aram Veeser編)の登場が契機である。それ以前からもStephen Greenblattの『ルネッサンスにおける自己形成』(1980)や『リプレンゼンテーション』誌(1983-)の発刊といった動きに敏感な一部の批評家にとっては、新歴史主義はすでに「文化の詩学」として知られていたわけであるが、「主義」化し始めるのは、このThe New Historicismの出版が大きなきっかけであっただろう。では、この新歴史主義の何が新しかったのか。「テクストの歴史性、歴史のテクスト性」というルイ・モントローズのキャッチコピーが最たる「新しさ」であろう。テクストは歴史の中に埋め込まれている、と同時に歴史はテクストのように「脱」構造化されている。Hayden WhiteがMetahistoryにおいて提唱した「歴史の物語論」の残波がここに見られる。つまり、歴史もまた一種の物語なのである。文学と歴史学の非対称な関係はここに終焉する。歴史学者の真性性に頭を垂れることはない。と同時に、その後ろめたさの解消は、文学者に「虚学」からの解放をもたらした。しかし、ここには責任も伴う。これまでは言語遊戯でも作家への忠節でも文学ヲタク道まっしぐらでも何でも許された。でも、新歴史主義者と名乗るからには「批評の批判」という同語反復的な踏絵を踏まなければならない。文学テクストは自律していない、文学というディシプリン独我論の牙城ではないという「事実」を引き受けなければ、権力のネットワークの中に位置付けられるテクスト、さらには同様に自らの位置する批評を意識することはできない。文学以外のものも読まなければならない。それこそ膨大な量の著作を。文学史に詳しければ大教授になれた時代はとっくに終わった(はず)。デリダは「脱構築はなんらかの方法ではない」といった。それはものの在り方そのものである。そして、それは今、新歴史主義の中に宿っている。そして新歴史主義は確かに批評の「正義」となったのであろう。それは認める。しかしである。
 今は文学史なんか知らずとも、歴史のある時期について(あらゆる分野において)詳しければよい(それはいい)。文学史の通時性ではなく、歴史の共時性が学者の知識を保証する。正直文学ヲタクにもうんざりするが、歴史ヲタクも増加中。はっきりいって、使命感をもって研究している人間がどれだけいることか。必要とされる研究かどうか、意識するのか。解かなければならない問題か考える研究者がどれだけいるか。文学ヲタクが歴史ヲタクに変わっただけ、と見ることもできる。なんだ歴史知ってるだけじゃん、みたいな批評が大量に出回っている。しかも、怪しげなものが多い。はっきりいって資料の山に埋もれて、まったく世の中が見えていないんじゃないか。特に現代以外をやっている人はその傾向がある(現代の人は文学ヲタクが多い)。結局、The New HistoricismでHayden Whiteが指弾するように、新歴史主義は通時的アプローチをおろそかにしている。これは新歴史主義に対する最もメジャーな異議申立てなので珍しくはないのだが、見逃すわけにはいかない。Greenblattは「死者と対話したい」といった。対話するからには、生者=読者のコンテクストが重要になる。結局、死者を現在から遠ざけて語ると、死者を2度殺すことになる。少なくとも、生者=批評家は自らのコンテクストに意識的に関わり、過去を記述する姿勢をとらなければならない。過去を記述するということは、必然的に現在が問題となる。もちろん、最近流行りの9・11とアメリカ帝国主義の構図をシンクロさせるなんていうのは問題外。synchronicじゃなくて、diachronic=dialogicが大事。過去と現在の関係は、ちょうどテクスト間の関係のように、reflectではなく、refractになる(ブルデュー)。同じじゃなく、違うことに意味がある。当然、そこには力関係も存在する。だから、なんでその研究をやるのか、という問題は必然的に浮上する。作品に書かれた過去、そして作品が位置する時代、そしてそれをテクストとして読もうとする我々。偉大な作家だから読むというのは論外。逆に誰も論じていないから読むというのも論外。そんなことは理由にならない。文学批評は「私」を軽視する傾向がある。「私」を消した方が客観的に見えるからだ。だが、客観的ということは、テクストと自分との間に大きな距離を作ることになる。それで「対話」が成り立つのか。Greenblattの考え方には首肯する。しかし、新歴史主義には「No」を突きつける。一番大事なのは過去の同時代的関係ではない。過去の同時代的関係とそれを読む我々との関係である。そう考えたときに、歴史ヲタクはヲタクではなくなる(はず)。テクニックや理論の問題ではない(もちろん、それを無視する者は万死に値するし、始めから問題外である)。要は、心構えの問題だと思う。
 次にテクニックの問題。看過できない点が3つほどある。①歴史は本当に物語なのか、という点。②歴史学と文学との間の分割線は発展的に解消したのか、という点。そして③フーコーの権力論を背景としたあまりに分析的で予定調和的な力の描き出し方、である。今日は①について考えてみる。
 歴史=物語論については、カルロ・ギンズブルグによる反論が最も有名だ。永久普遍=不変の「真実」といったものはギンズブルグも信じていないし(イーグルトンのポストモダニズム論もこれに近い)、なんらかの宗教の狂信的な信者などの例外を除いて信じるものはいないだろう。「真実」は歴史という時間の流れから離れたものだからだ。一方、歴史は確かにWhiteのいうように修辞によって成り立っている。物語化の作用を蒙らない歴史など存在しないだろう。しかし、だからといって歴史が完全に物語なのではない。そこには「明々白々な事実」が存在する。というと、ポストモダニストから袋叩きにされかねないので、「明々白々な」という形容詞は除く。しかし、「事実」は存在する。何かが起こらないと歴史にはならないし、その出来事を皆が共通項として持っていないと歴史とはいえないからだ(でなければそれは記憶である。Morrisonのrememoryはある意味記憶と歴史を橋渡しする概念である)。物語論者はここで歴史になった(書かれた)時点で事実ではない、と反論するかもしれない。しかし、「事実」が存在しなければ「物語」は書かれるかもしれないが、「歴史」は書かれない。むしろ、歴史は「事実と物語化のせめぎあいの場」として読まれる「べき」だ。
 南京大虐殺は物語か?30万人、300万人は物語化されたフィクションかもしれない。この数の上下、あるいは殺され方もフィクションかもしれない。あるいは、日付もフィクションかもしれない。しかし、「大虐殺」かどうかはわからないが「虐殺」はあった。なぜなら、戦争は起こったからである(共通の認識=事実)。戦争が起こった以上、虐殺も生じる。戦争は市民と軍人との境界線を限りなく曖昧にさせるからである。それを「虐殺」や「大虐殺」として物語化する程度の問題は残るが、「虐殺」は「事実」としてある(ないのであればそれに相当する「事実」が必要となる)。
 物語論を正義として推し進めた極にRobert Eaglestonという論者がいる。彼はホロコースト否定論をポストモダニスト物語論の観点から批判している。「ホロコーストは起こらなかった」という主張がポストモダニスト的なんでもあり批評に端を発しているのではないか、という批判に答えて、Eaglestonはそうではない、という。ホロコースト否定論者が歴史という権威に頼って主張している(データとか出して科学的・実証的に証明する)のに対して、Eaglestonはポストモダニストはそういう歴史の権威みたいなたいそうなものを全否定するのだ、と切って捨てる。なるほど、物語論は正義なわけだ。しかし、ここでホロコースト否定論が歴史の真性性に訴えない場合は想定されていない。Eaglestonはどう答えるのか。それでもこっちの物語の方がそっちの物語より「正しい」と自己矛盾する形で押し通すのか。結局、歪曲的な修正主義に立ち向かう術は物語論にはない。結局、歴史の中に混在する「事実」と「物語」の諸相を丹念に見つめるほかないのだ(証言の問題も同様である。「物語化」された証言の積み重ねの中に「事実」は存在する)。
 よって歴史哲学と文学とを横断する物語論という分析装置は、大きな欠陥を抱えることになる。それは歴史学者に負い目を感じていた文学者にとってはご託宣だったのかもしれない。しかし、一元論は常に間違いのもととなる。出来事は決して修辞化しきれない。もともと言語に根ざした表象や言説といった概念ですら、余剰と欠如を含みこむ。Spivakの苦悩は、決して代理=代表=表象しきれない「事実」が存在するところにある。「物語」は決して出来事を完全に表すことができない。だから、すべてが物語とはいうことができない。人間が言語を駆使して生きる動物であるからといって、物語以外のものを否定することはできない。余剰と欠如に引き裂かれた物語の積み重ねの中に「事実」はある、という前提を捨てると、いくら理論的に正しくとも、その正しさゆえに間違うこともある。新歴史主義あるいは歴史哲学は、歴史学者に「歴史は物語だ」、という当然の主張をした。しかし、文学者は歴史哲学から学んでも歴史学から学ぼうとしない。文学にも物語だけではなく、事実が埋め込まれている、ということを。事実を物語から捕捉することは理論上不可能だ。しかし、だからといって事実を棄却して物語一元論に固執していいという理由にはならない。事実を名指す、と同時にそれが物語という不完全な媒体によってしか表現できないという限界を認識することこそが重要だ。新歴史主義の誤謬は、物語一元論を提唱した歴史哲学と事実を手放そうとしない歴史学の差異を軽視したところにある。(この議論は、本質主義構築主義の間を見ようとする「反・反・本質主義」の流れにも通底するし、「ホモフォビアダブルバインド」の話にも共通する)