Walcott, Rinaldo . "Beyond the 'Nation-Thing': Black Studies, Cultural Studies, and Diaspora Discourse (or the Post-Black Studies Moment)"  Decolonizing the Academy 107-24. ISBN:159221066X

 黒人研究とディアスポラとの関係を追跡し、後者を前者に大幅に取り込むことで活性化を図れるとやや楽観的に主張した論文。黒人研究はアメリカ黒人を奴隷制度や人種差別の被害者として、また真正な文化の担い手として記述し、彼らの解放の物語や文化的起源を幾分ヒロイックに称揚する。しかしその一方で、それは黒人内部の内的差異を軽視し、また他の遅れてやってきたアフリカ系を排除する "nativist arguments within Black Studies" の偏向性も帯びている。結局、そうした "a heroic story" を掲げる黒人研究は、国民国家の擬態をアカデミックな領域で再生産してしまうことになる。Walcottは、Bakerを援用しながら、 "a new story" の必要性を訴える。それが、ディアスポラである。 "connection" であると同時に "disconnection" でもあるディアスポラを読みに導入することで、"nation-thing" を希うと同時にそれを掘り崩し、それ以上の何かとして手直しすることができる。Walcottが "diaspora reading practice" と呼ぶ読みは、テクストに埋め込まれたもの同士の関係のみならずそれが排除したり言い澱んだりするものをも切り結んでいく兆候的な間テクスト的読解を指す。またその読みは、ローカルなものとそれを越えた世界をも切り結ぶ。ディアスポラ的なものは想像された時点で "nation-thing"となるが、それは "ephemeral imaginary spaces" に過ぎない。そのlocalityは、他ならぬlocalityを自己言及的に突き崩し批判するために存在する。黒人研究はディアスポラ的読みの実践によってもっと豊穣になりうるし、現代のトランスナショナルな時代状況からいっても両者の協調は必須である。というような内容。
 分量の関係上なのか、かなり駆け足な感じで、ところどころに差し挟まれる傍証にかなりのぶっ飛び感を覚える。が、論理よりも主張に目配りして読めばそれほどぶっ飛んだものでもない。ディアスポラのまとめとしてもわりと有用かもしれない(特に最後から数ページ)。しかし、なんだか過剰に(間)テクスト論的な読みを称揚しすぎのような気がして、読み方によっては結局「なんでもあり」といっているようにも聞こえる。論が黒人研究批判に傾いているので、反対にディアスポラ流動性や脱領域性を偏狭だと批判される黒人研究の側から眺めてみるようなバランスのとり方も重要な気がする。もっともディアスポラのなかにすでに偏狭な部分(locality)もあるわけなので、これは結局黒人研究をディアスポラの観点から読み替えるということを主張したいのだろう。ただ、どうもディアスポラはlocalityを流動性のなかに完全に還元してしまう傾向にあるように思うので、ちゃんと両者の齟齬や均衡を見る視座だけは忘れないよう確保しておかないと(その辺の目配りはあったように思うが)。「なんでもあり」は何にもないのと同じなので。"geneaology" をある種の "intimacy" と見做すという考え方は結構面白いなあ、と感じた。
  W. E. B. Du Bois and American Political Thought: Fabianism and the Color Line も結構面白そう。