歴史の終わり

 昼ぐらいに起きる。論文に手を入れる。昨晩作った煮物に、新しい具材を投入してまた煮物。このまま一生煮物でも・・・、よかあないですよねえ、やっぱり。
 役不足ながら幹事を引き受けたので、もろもろで友人の結婚式の二次会の名簿を眺める。クラシックな名前が並ぶ。時代ですなあ。http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking/best100/を見よ。被らないぞ、多分。最近の子の名前は読めない。親戚や兄弟の子も全然読めない。名前負けしないように、シンプルな方がいいと思うのだけど。「一」とか。

 

デリダと歴史の終わり (ポストモダン・ブックス)

デリダと歴史の終わり (ポストモダン・ブックス)

 寝る前に読んだら寝れなくなったので、しょうがなく。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」テーゼを批判するデリダを足がかりに脱構築を説明しようとしている、あるいは「歴史の終わり」の難点を説明しようとしている本。前者の観点から言えば、少々古典的過ぎてあまり役には立たない。後者の観点なら、いい解説本だといえるのではないか。しかし、デリダも「歴史の終わり」も知らなくとも、何でもかんでも「あれは終わった」とか「あれは古い」とかいう人物が、自分の考えや信念を特権化したいからそうしていることくらい、直感的にわかるだろう。ただそれを論理的に論難するとなると、少々知恵を絞ることになる。デリダからすれば、この程度の大雑把な目的論を批判することぐらい赤子の手をひねるようなものなのだろうが。
 「読書案内」の項は資料探しの方法の手引きともなっている。私は図書館の大事典の類をあまり利用しないので、なるほどそういう手があったのかと膝を打つ。目的の本と同じ分類のところにある他の本を当たるというのは、借りに行った当該本以外の本をたんまり借りてしまう私にはお馴染みの方法(どうせ読めないのだけど)。著書や論文の註や参考文献の項が大事だというのもそう。リサーチの方法って意外と誰も教えてくれないものなので、こうした教示は初学者にとって参考になるに違いない。経験的に感得した方が身につくのは確かだけど。