社会科学=眼科医

 とある文化人類学の先生の講義にお忍びで参加。文化を交渉の場として位置づける文化越境の議論をタブララーサの学生に理解させるという趣旨の講義。引き出しの多さに驚いた。先生の出身地・北海道が周縁的な方言と中心的な方言(標準語)に分裂していたという北海道の真正性の話に始まり、R・ベネディクトの『菊と刀』における眼鏡=文化による視差、交渉の中で生成する文化、そして具体的な例証として沖縄の方言/標準語を巡る笑いについてやや駆け足ながら教えていただいた。トピックは、人間は文化の色眼鏡を通じてのみ世界と関わることができるということ、そして文化が本質的/静的なものなのではなく、構築的/動的なものであるということ。要は文化を自然なものとして自明視するのではなく、その中で自らの視点あるいはポジションが構築されているという視座の限界を意識させることが目的だったように思う。結論的には私の乏しい知識でも珍しいものではなかったが、こうした内容を一見さんに説得的に伝えるには、かなり豊富な例証と経験が必要だということを改めて認識。沖縄の笑いも、翻訳、あるいは誤訳の問題を明示するには優れた題材だし、なにより面白い。久しぶりに講義を聞く経験をして、刺激を受けた次第。