colorblind

 D論その他。風邪をひいたような気がする。葛根湯を飲んでおく。またもや鍋。
 
 Barack Obama議員の株が急騰しているというニュース→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070207-00000058-mai-int。次回のアメリカ合衆国大統領選挙では(少なくなくとも民主党の指名選挙においては)、女性初の大統領誕生/黒人初の大統領誕生が軸になることは間違いない。現在のところ、Hillary Clintonが世論調査上、圧倒的な人気を誇っており、女性初の大統領誕生の方が有力な情勢ではある。しかし、上院議員となって日が浅いとはいえ、Obama議員の人気も高い。この記事によれば、彼が一貫してイラク戦争に対する抗議を続けてきた点に大衆は高評価を与えている。イラク戦争のような時代の潮目に際して、支持に回るか批判に回るかというのは、長期的スパンで見た場合、政治家にとって最も難しい判断となる。後々の評価が予測できないからである。が、少なくともObama議員は結果的に潮目を正しく読んだ。当時の合衆国にあって、これはなかなかできることのない決断だったと思われる(その一方で、喫煙やイスラム教徒という信仰の問題もあるが)。
 だが、どうもObama議員は一般的アメリカ人の支持を遍く集めても、黒人層の支持はあまり得られていないようだ。相手が、某ノーベル賞作家に「アメリカ初の黒人大統領」と言わしめた黒人に大人気だったクリントン元大統領の妻なので、この皮肉な捩れ現象もまあ致し方ないところか。
 加えて黒人作家Debra Dickersonが、Obama議員は黒人ではない、と発言して議論を呼んでいる(http://www.salon.com/opinion/feature/2007/01/22/obama/)。ケニヤ出身の父とアメリカ白人の母との間に育った彼(両親は離婚して母親に育てられたようだが)が、文化的なアメリカ黒人としての意識をあまり持っていない、と見られているところにそうした批判の端緒はあるようだ。Dickersonによれば、彼は見た目は黒人だが、奴隷制公民権運動の遺産をきちんと受け継いでいない文化的な "a non-black"だという(公民権運動のおかげでハーヴァードに進学できたというのに、というやっかみもあるかも)。しかも、Dickersonは、彼が黒人文化を共有していないどころか、"Since he had no part in our racial history, he is free of it." とまで言い切る。こうして、Dickersonは、Obamaが文化的に黒人ではないという理由から、民主党指名選挙のテーマである"a battle between gender and race"を擬似対立として切捨て、この選挙を巡る議論、ひいてはObama自身が黒人/人種を排除する "colorblind"の論理に従ったゲームを行っている、と明言するのである(Diclersonは文中ゲームの比喩を多用している)。
 しかし、そもそもDickersonのいう黒人文化って何?

"Black," in our political and social reality, means those descended from West African slaves. Voluntary immigrants of African descent (even those descended from West Indian slaves) are just that, voluntary immigrants of African descent with markedly different outlooks on the role of race in their lives and in politics. At a minimum, it can't be assumed that a Nigerian cabdriver and a third-generation Harlemite have more in common than the fact a cop won't bother to make the distinction. They're both "black" as a matter of skin color and DNA, but only the Harlemite, for better or worse, is politically and culturally black, as we use the term.

 まずDickersonは、「黒人」と黒人を区別する。「黒人」はアフリカ由来の人々の総称で、見た目やDNAを表す。しかし、どうも彼女はそうした身体的な特徴に伴う "our political and social reality" の問題よりも、「ハーレム人」としての文化的/政治的アイデンティティにこだわる。要は、世界中に点在するアフリカ由来の人々の「黒さ」とアメリカ黒人の黒さとを峻別したいのだろう(もちろん、アメリカ黒人も「黒さ」を共有しているわけだが)。続いて彼女はこんなことを言っている。

For all our sakes, it seemed (again) best not to point out the obvious: You're not embracing a black man, a descendant of slaves. You're replacing the black man with an immigrant of recent African descent of whom you can approve without feeling either guilty or frightened.

黒人Obamaを支持するとかしないとか以前に、彼は黒人ではない、彼は最近アメリカに越してきたばっかりのアフリカ移民なんだ、というのが彼女の主張(もちろんObamaはハワイ生まれなので生まれつきのアメリカ黒人なのだが、文化的な古さや濃密さが足りないということなのだろう)。「黒人」と黒人を混同するな、というわけだ。しかも、ごっちゃにすると、アフリカ移民にアメリカ黒人の文化を強制することになるばかりか、奴隷制の遺産を否定することになりますよ、とまでいう。

Lumping us all together (which blacks also do from sloppiness and ignorance, and as a way to dominate the race issue and to force immigrants of African descent to subordinate their preferences to ours) erases the significance of slavery and continuing racism while giving the appearance of progress.

Dickersonの主張をまとめると、アフリカ移民もアメリカ黒人も同じアフリカ由来の「黒さ」を共有しているけど、両者は括弧なしの黒さ、すなわちハーレムを頂点としたアメリカ黒人文化の有無、あるいはその濃淡によって峻別されなければならないということになる。つまり、彼女のいう黒人文化とは「アメリカ黒人の文化」であり、Obama議員がアメリカ黒人を代表できないのは彼がその真正にして神聖な「ハーレム人」ではないからなのだ。彼女の反発は、Obama議員がアメリカ黒人を無視して白人に寄り添う一方で、黒人としての立場を利用しているように見える、という点ではなく、そもそも(Dickerson曰く)"an American of African immigrant extraction" としてのObamaがアメリカ黒人の文化を共有していない、という点に端を発している。はてさて、それはどうでしょう?
 彼女はアメリカ黒人とアフリカ由来の人々との特徴とを切り分けることで、黒人内部の差異を明確にしている。いや、それが成功しているかどうかは別にして、それ自体に問題はない。どんなに文化がハイブリッドだといってみたところで、議論の出発点においてはやっぱり文化は切り離されたものとして認識される必要がある。いきなりみんな一緒では、その権力関係や構成条件を問うことはまず無理だから(日本文化が他文化の影響を受けて変容してきたハイブリッドな文化であるという議論が有効なのは、日本文化が他文化とは異なるという意識の存在を前提とする限りにおいてである。)
 では、何が問題なのか? それは文化的にアメリカ黒人ではないObama議員(実際にどうかは抜きにして)がアメリカ黒人を代表できない、と彼女が主張する点ではないか。アメリカ黒人の文化を持たない人間にアメリカ黒人のことは語れないのか。アメリカにおいて、アメリカ黒人について語ることができるのはアメリカ黒人文化を有する人間だけなのか。ところが、彼女は一方でHillaryのアメリカ黒人に対する功績を認め、Hillaryの勝利すら予言する。その意味では、Dickersonの中で、アメリカ黒人というよりアメリカという国境で線引きがなされているように見える。これではObama議員がアメリカ黒人ではないという当初の主張を超えて、彼のアメリカ人としてのアイデンティティをも否定しているととられかねない。アメリカにおいて、アメリカ黒人を代表し語ることができるのは、アメリカ(黒)人だけなのか。彼女の議論には、文化を語る権利の問題、そして文化を語ることで生じる権力関係の問題が付きまとう。もちろん、アメリカに先祖代々住んでいる黒人が生まれつき「ハーレム人」で、その「ハーレム性」が自動的にアメリカ黒人の文化と等号で結ばれ、永久不変のイコンとして屹立しているというような信仰に、今や古びた本質主義の陽炎を見出すことも難しいことではない。その本質主義的な「ハーレム人」の排他性が、アメリカ黒人内外に階層関係を生み出し、またアメリカ例外主義を強化しているとも批判できるかもしれない。アメリカ黒人という用語の包摂と排除。そんなことを考えるには、これはなかなかいい素材かもしれない。
 
 Dickersonのホームページ→http://www.debradickerson.com/The End of Blackness という本を出しているらしい。