もろもろ。焼肉もどき。

国立大学の収益の45%を占める国からの交付金が大幅に減額されるかもしれない、という身も凍るニュース。
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070521i115.htm
 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070502ur03.htm

試算は、各大学が研究・教育活動に積極的に取り組んでいるかどうかの尺度として〈1〉価値があると認められた研究が対象の科学研究費補助金科研費)〈2〉大学独自の教育・研究内容に応じて配分される特別教育研究経費――が各大学にどのように配分されているかを使った。

 運営費交付金の配分を科研費の比率で再配分すると、多くの研究テーマが認められ、多額の科研費を獲得している大学への配分が増え、研究の少ない大学は配分が減る。

らしい。ちなみに教育系はひどいところで9割カット。科研費とれない教員に対する死刑宣告にも聞こえる。研究評価に対する長期的視野を欠き、分野によるばらつきを考慮に入れない杓子定規的な制度適用は多分に問題含み。世界に伍する競争力を、なんていうのは所詮建前であって、本当は国立大学を潰してコスト削減したいだけ。そもそも、国内の競争相手がどんどんなくなっていくような未来予想図で、国際的競争力なんてホントに上がるのかしらん。
 財務省試算(pdf)→http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/siryou/zaiseib190521/02_e.pdf
今年度交付金分配状況(pdf)→http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/siryou/zaiseib190521/02_d.pdf


 

 嫉妬と羨望を込めて、人は「夢のようだね」、と軽々しくも口にする。ところが私はここ最近「夢のような」夢に全くお目にかかれない。私だって人並みの人間なのだから、ヒロスエと授業をサボる夢とか、カゴちゃんとタバコをばしばしチェーンスモークする夢とか、スズキアミの歌を好きなだけ聞いていられるなんていう「夢のような」夢の恩恵に与りたいと思う。そんな夢のような夢を見られない私ごときが、全くおこがましいにも程があるのを承知で敢えてその3つを食べ物に喩えるなら、巨峰、グミ、グミとなる。どれもおいしそうで全く夢のようだ。
 現実の世界では、器量よしでこの上なくやさしい妻を娶り、おかげさまでまさしく夢のような生活を送らせていただいている。純粋で正直な学生たちからも我が妻は、「今日もきれいですね」と褒めちぎられ、病気をして休講すれば「眠れないほど心配しましたよ」と、これまた夢のような気遣いの言葉を浴びせられるそうだ。まことに下心のない天使のような学生たちに囲まれたのは、我が妻の人徳の賜物に他ならない。我が妻は寛大なことでも知られている。うっかりものの私が洗濯機の中にパンツを入れるのを忘れたり、玄関の電灯を消し忘れたりする程度のことでしか怒ったりしない我が妻は、それこそ夢のような寛大さを持ち合わせている。おまけにどんなときでも冷静沈着なことこの上ない。大騒ぎになるのは、せいぜい天ぷら油が発火して台所に即席のキャンプファイアが出来上がったときや、こたつのコードが切れて家の中で花火を鑑賞したときや、「右目が出てる」などというひどいことを誰かから言われて病院の機械で輪切りにされたときぐらいのものである。そんな大騒動になるのは、だいたい1年に10数回ぐらいのものだから、1年のほとんどは室町時代後期ぐらい平穏無事な毎日が続く。夢のような毎日である。
 でも世の中には夢のために殺される人だっているそうだ。ある王様牧師という王様なのか牧師なのかよくわからない偉い人が「私には夢がある」と言ったあと、しばらくして殺されたらしい。なんでも色白の人と色黒の人が一緒に飯を食うという陳腐な夢だったらしいが、そんな夢ならウェンツとマツザキシゲルが仲良くなれば済む話である。何も殺すことはない。フーコーとかいう偉い人に向かって「髪は死んだ」なんて暴言を吐いた、なんとかっていう人の罪の方がよっぽど万死に値する。夢を見るのも命がけだ。
 そう、最近見る夢は全く酷い。夢のような夢なんてまた夢だ。この前なんか両手を2匹の犬に噛まれる夢を見た。噛まれるだけならまだよさそうだが、両手からぶらぶら犬がぶらさがるなんてのは悪夢以外の何物でもない。悪い夢はいいことがおきる前兆だなんて昔の彼女に言われたことがあるけども、その次の日に友人の車をどっぷり沼に落として綺麗になるはずもない汚れた車をせっせと洗っている夢を見ると、悪い夢は悪い夢を見る前兆でしかないような気もしてくる。これだけ外れ続ければ、きっと夢のような夢がたんまりキャリーオーバーされているんだろうけど、その間に私の疲労もキャリーオーバーされるので、夢を見るのも大仕事である。しかし、以前壁と壁の間でつぶれる夢にうなされて、起きてみたら壁と嫁の間に挟まっていたときのことを思えば、少々の悪夢も乗り越えられるような気がする。
 かと思えば、我が妻はいつも夢のような夢を見ているようだ。内容についてはよく知らないが、真夜中によく寝室から「あははは」という笑い声が響いてくる。全く羨ましい夢のような話だ。もっとも、丑三つ時に笑い声を聞く私は、起きている時まで悪夢にうなされる。寝ても覚めても夢のような夢には程遠い。夢のような夢と悪夢を分け隔てるのは、「少しのリグレットと罪」を感じる繊細さの有無だと、心から思う。あ、フィクションでお願いしまあす。