タバコ

 もろもろ。弁当。
 
 タバコ論議の私的四分類。

  1. 科学的真実追究のレベル(タバコに害があるか)
  2. 言説分析のレベル(喫煙者は社会のゴミか)
  3. メディアのレベル(愛煙は報道に値しないのか)
  4. 個人の趣味・嗜好・権利のレベル(タバコが好き/嫌い)

主として1に対する有意義な指摘→「キンエンファシズム」に対する反論(統計学と疫学の混同)http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2005/10/1_e830.html。それからコヤノさんの反論に対する反論→http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2005/11/post_23de.html。ここまで冷静に批判している方ってなかなかいないのでは。もっとも、愛煙/禁煙って、論理的な説得が利く様な領域ではなく、どちらかというとお互い感情的になる領域ですからねえ。やっぱり感情を揺さぶるものでないと。しかし、こちらは・・・→http://d.hatena.ne.jp/azakeri/20050926/。なかなかやめようとは思わない私ですが、さすがに二時間ばかり禁煙しました。http://blog.goo.ne.jp/masakichi917/e/01187935f5e12397e3266c6b9046d0dcの音次郎さんのように、「タバコなんて嫌いだ」とやや過激に(?)感情をまとめ上げないと、きっと禁煙なんてできないのでしょう。愛煙家が「私はタバコが嫌いである」というとき、その言明には自分の「タバコなんか嫌いだ」という嗜好を再確認する事実確認性だけではなく、そう宣言することでタバコが嫌いになってやめられるという行為遂行性があるような気がします。そういう意味で、元愛煙家が嫌煙家になるケースが多いのだろうと思います(もちろん、音次郎さんの場合、もともと嫌いだったようですが)。私が「私は緊張しない」というようなものでしょうか。おかげさまで本当に図太くなりました。「私はタバコが嫌いだ」といい続けてたら、私もやめられるでしょうか(とかいっている時点でダメか)。