死体洗い

 某学会。研究発表を三本ほど拝聴。ブルーズ的形式と『青い目がほしい』というのは、まだやられていないし、おもしろいテーマだと思う。ただ私は白→黒みたいな論には全く賛同できないし、そもそもブルーズがそんな単純なもの(ブルーズ=黒人文化)だとは思わない。ヘミングウェイとジャーナリズムのご発表は、美しい英語で。客観的なカメラアイと主観的な意識の流れとのテンションで戦争を描くという筋。私としてはその両方とも作家にとってintentional、あるいは戦略的なものであるように映ったので、それがどこまでそうあり続けられるのかという辺りを少し聞いてみたい気がした。某自然主義作家の作品に出てくる怪物と電気恐怖の言説との関係、というか、前者が後者を反映している、というご発表はいつもの名人芸。怪物をかくまう登場人物に「今回の発表では扱えなかったのですが」的トラップがあるような気がしたが、案の定、それは電気賛美の言説に結びつくのだとおっしゃる。どちらにしても、テクストが言説を反映しているという基本スタンスにお変わりはないようで。いや、質疑応答まで含めて、これは名人芸としてすでに確立しております(一ファンとして)。
 亀井先生の特別講演。まとまっていた文学史が拡大・拡散を続ける時代。できなくても、まとめる努力をしなくちゃならん。しかし、文学史自体から批評性が消えうせ、それらがほとんど事典に近い扱いを受けていることを考えると、文学史に批評性を取り戻すような方向はもはや無理なような気もする。やるのであれば、アメリカ文学史、ではなく、ニューイングランド出身だけども西部を書いたヘテロ男性白人作家兼ジャーナリスト、ぐらいの限定した文学史にならざるを得ないだろう。でも、それって、文学史というよりは、単著のテーマ設定のようなものになってくるわけで、わざわざ文学史なんていう必要はないのかも。こうしている間にも、忘れ去られた作家や新人作家が次々と発掘され続け、リストはどこまでも拡大の一途を辿る。まとめるには、意図的に既知の有名作家をばっさり切る必要がある。つまり、自分の意図に対してどれだけ自覚的になれるかというところなんだろうなあ。ところで、今書かれている文学史を読んだりする時間と能力のある人ってどこにいるんだろう。
 懇親会、プチ二次会、ホテル。

 

家族趣味 (新潮文庫)

家族趣味 (新潮文庫)

 5編の短編を収録。基本的にうまい。特に「忘れ物」は凄い。セクシュアリティ系のオチかと思いきや、ジェンダー系のオチ。語りって奥深いのね。ところで、「忘れ物」に死体洗いのバイトについての記述があった。これなんか結構詳しいが、概ね都市伝説ってことでいいのか。