once upon a time in America

 もろもろ。煮込みハンバーグ+「ブリッコトンド」バルベーラ2005(ピエモンテ フォンタナフレッダ社)。スタンダードなキアンティ。まあまあ。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 完全版 [DVD]

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 スカパーにて。http://en.wikipedia.org/wiki/Once_Upon_a_Time_in_America1984年。デニーロ主演。上映時間が4時間ほどある大作。雷雲襲来により大変な荒天に見舞われ、終盤の20分ほど鑑賞できず。むむ。スカパーの弱みはこの一点に尽きる。これは本当に傑作だと思う。もう一回観たい。
 終盤の解釈は分かれるところではないか。私はアヘン幻視説を採りたい。デボラの部屋で、過去を見ずに前へ進むドアと、失われた過去を辿るドアの二者択一で、後者を選択するヌードルス。それから、マックスの部屋では前者を選択。実際にはマックスを撃たなかったが、ある意味撃ったのであろう。表通りに出て、ゴミ収集車のテールランプからお決まりのフラッシュバックへ移行するかと思いきや、もはや過去へは戻らず*1ヌードルスの相棒かつ「ダブル」としてのマックスの死を確認して、彼は過去への遡行を打ち止めにする。という初老のヌードルスの探求譚を、マックスの死後打ちひしがれた青年ヌードルスがアヘンを吸いながら幻視しているのではないか。で、マックスの死を夢うつつで確認したヌードルスが、マックスとの理想の関係を恍惚としながら反復しているという感じか。
 聖なるデボラと俗たるギャング団の関係も面白い。ヌードルスは聖に触れることによって、俗との微妙な均衡を保ちつつ生きていくが、最終的に聖を(性的に)犯して/侵してしまうところで決定的に俗と袂を分かつ。他方、マックスは俗の自壊/自殺を志向することで、俗に留まりながら俗から逃れようとする。その果てに、デボラがいる(不倫関係として表象される)。といっても、俗との均衡関係に置かれるデボラも純然たる聖に留まるわけではなく、化粧を落とすシーンに明らかなように、その聖は次第に歪んでいく(化粧を落とす場面は本当に素晴らしい)。その辺は、少女期のデボラと成長後のデボラとの間にギャップが生まれるようにキャスティングされていることからも読み取れるかもしれない。いやー、いいですね、これ。

*1:劇場公開時は、時系列に沿って編集した90分バージョンだったらしいが、それはあんまりだろう、と思う。フラッシュバックの繋ぎ方がどことなくこの映画に現実離れした感じを与えているわけなので。