生のあやうさ

 もろもろ。鶏の香草焼。

生のあやうさ―哀悼と暴力の政治学

生のあやうさ―哀悼と暴力の政治学

 9・11以降のアメリカを取り巻く文化政治的状況に介入して、言説による生(死)の生産や「人間」の存在論的条件について問う本。ユダヤアメリカ人としての自らのポジションに対する問題意識が、ジェンダー・パフォーマティヴィティや普遍性をめぐる従来からのバトラーおなじみの問題意識へと接続されている。訳者によるまとめが簡潔・平易にして正鵠を射ているので、私ごときがやる必要もないと思う。この手の本が血肉になるのは、大体半年から一年後なので、あまり大したことはいえないけども、少しだけ。
 私が興味をそそられたのは、バトラーが「強さ」ではなく「弱さ」に普遍性の基礎を見出そうとしている点。マイノリティの文化政治の場合、ついつい支配者側の「強さ」に対抗しうるマイノリティ側の「たくましさ」や「したたかさ」を見出していく傾向にあると思う。けれども、そうすると、様々な差異を尊重することはできるけど、「強さ」と「強さ」の争いになり、なかなか異なる者同士が豊かに交渉を重ねることのできる公共の場が生まれにくい。対して、バトラーは、「強い」と思われていたアメリカの「脆さ」の顕在化を9・11に読み取り、その「弱さ」が複数の差異の間に公共の場を生み出す新しい普遍性の条件となりうることを、この本で示そうとしているように思われる。多分つづく。