人種とゲノム

 終日だらり。なんとなく日が暮れる。急に寒くなった。モツ鍋。こりゃいい。

人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて

人種概念の普遍性を問う―西洋的パラダイムを超えて

 論文集。なのだが、編者による100ページを超える総論が類を見ない大作かつ力作で、全体をきりっと引き締めているため、まとまり度はかなり高い。人種が成立したのは近代以降か、それとも人種は時代を超えて普遍的に存在するのか、という人種の定義をめぐる難問を足がかりに、編者が交通整理を図る。
 編者が提案するのは、race、Race、RR(race as resistance)という3つの相で人種を捉えるというもの。制度の細分化・階層化に伴って優劣や排除の指標として社会に現われるrace(日本の文脈でいうとエタなど)、何の根拠もないraceに普遍的合理性を与えるRace(差別の理論化。骨相学や観相学、あるいはブルーメンバッハの五分類をvarietyではなくraceとして誤用する優生学など)。かつて、バリバールがracismとracialismを使って同じようなことを論じているのを読んだことがある(80年代ぐらいのものなのでちょっと古いかもしれない)が、こちらの方がよりクリアで内容も深い。加えてRR。raceとRaceが社会的弱者に対して劣位のアイデンティティを強要するものであるのに対して、RRはその社会的に劣ったアイデンティティを押し付けられた人々がそれを肯定的なものへと読み変えていく行為の総体を指す。日本でいったら、水平社などはこの部類に入るのだろうし、簡単に思いつくところでは、ブラック・ナショナリズム運動が典型だろう。
 全く不案内な読者にもわかる交通整理も確かに見事なのだが、潜在する人種主義の方便として利用されかねない最新のゲノム研究の領域を人文系の読者にもわかるように説明してくれるあたりが白眉。目から鱗がぱらぱら落ちる。たとえば、ブルーメンバッハ的分類を前提として、ゲノムの差異を調べてみると、人種間の差異(10%)よりも人種内の差異(90%)の方がはるかに大きい。つまり、「黄色人」と「黒人」の違いよりも、日本人と中国人の違いの方が大きいということ。問題は、もともとブルーメンバッハ的分類は恣意的で、例えばどこからどこまで黄色人なのかという線を予め引くのは大変難しい、ということと、もうひとつは相対的に小さいとはいえ10%の人種間の差異に人種の存在を認めるのかどうか、ということ。解釈の仕方によっては、ゲノム研究の成果の意味は180度変わってしまう。ゲノムの解釈の問題を社会的に歴史的に考察することなら、きっと人文系にもできるはず。理系・文系問わず、関心の共有が、もっともっと進んでもいいと思う。