Never Cross a Vampire

 

吸血鬼に手を出すな (文春文庫)

吸血鬼に手を出すな (文春文庫)

 原題はNever Cross a Vampire(1980)。ハリウッドを舞台に貧乏どん底探偵トビー・ピータースが活躍する、映画評論家Stuart Kaminskyによる連作探偵小説の第5作。この連作のウリは、ハリウッドの俳優、プロデューサー、脚本家が実名で登場するところにある。本作は、20年代から40年代にかけてB級ヴァンパイア映画で活躍したベラ・ルゴシが、自身に対する度重なる脅迫に耐えかね、トビーに調査を依頼することで幕を開ける。以下、ややネタばれあり。
 時代は、日本軍による真珠湾によって突如降って湧いた混乱の熱が、冷めるどころかますます新たな熱を帯びていった1942年1月。物語のリアリティを保証する背景として、愛国熱や排日熱、太平洋戦線における戦況は書き込まれる。
 事件は、殺人容疑で逮捕された文豪ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)がトビーに冤罪立証を目的とした調査を依頼することで複雑化の一途を辿る。大ヒット作になかなか恵まれなかったフォークナーがハリウッド映画の脚本執筆に糊口をしのぐ手立てを求めていたというのは有名な話だが、本作はその文学史上の史実に則りつつも、文学史的にはおよそ比較にならない大衆作家の創作した醜聞の渦中へと、当の文豪をまんまと引き込むところにアイロニーがある。
 ルゴシ脅迫事件とフォークナーの一件は、探偵トビーを媒介として図らずも接続し、捜査は難航する。しかし、トビーの捜査は、後にその両者の交差を促進することこそが犯人の狙いだったことを明らかにし、探偵と同様この2つの事件の結節点となる人物、複数のプロットを結び合わせることを生業とする脚本家が捜査線上に浮上することになる。ここにおいて、タイトルに明示された“cross” は、吸血鬼の苦手な「十字」と共に、人物相関と捜査線の縦横断、さらに探偵小説を書く作家自身がプロットを織り合わせる混交をもメタフィクショナルに暗示しているといえるかもしれない。さらに、当時斜陽の吸血鬼映画業界の状況に鑑みるなら、この “cross” は吸血鬼の存在自体に書き入れられた「抹消記号」とも読めるかもしれない。誰からも信じてもらえない、「抹消記号」の下からかろうじて透けて見えるような危うい存在としての吸血鬼の末路を、ルゴシの一件に重ねてみるのも、読みの可能性としてはおもしろい。また、依頼人フォークナー、ルゴシと探偵その人が、揃って窮乏生活を強いられているという状況も、あんまりありがたくないクロッシングの一例か。
 作者自身が映画評論家ということもあり、作中に描きこまれた挿話やトリビアの多くは、映画マニアにしか理解できないレベルのもので、そのために物語全体がやや間延びし、冗長な印象を受ける。探偵小説としては、展開力に難がある。ただ、そのおかげで人物描写はより綿密さを増し、より魅力のある人物造型が実現している。脚本家にプロットを組むのが下手だとからかわれ、とっつきにくい変人として造型されるフォークナーなどはその典型か。