ジュンスカ

 年末ごろから噂では聞いていたジュンスカ再結成。どうやら全国ツアーをやるらしい。チケット販売状況を見てみたら、もうとっくにソールドアウト。だったので、YouTubeをめぐって郷愁に浸る。
 こういうのを聞くと、つくづくしみじみ思うが、郷愁を刺激したり、懐古趣味への入り口をノックするのは、クオリティの低さなのではないかと。あんまりクオリティが高いと、時代を超えて新しく感じるような普遍性を獲得してしまうので、こっそり懐かしさに浸るには不向き。扉を閉めて思い出に浸っていたら、突然新しい世代がどっと入り込んできてわいわいがやがや、なんてことになってはたまらない。その点、ジュンスカファンに、クオリティの高さに慣れ親しんだ現代っこが新規参入してくることなんかまずありえない。ベース歴一ヶ月のベーシストが、いきなりライブやテレビで演奏するなんていう暴挙が想像できるか。できますか。そうですか。いらっしゃい。
 個人的には、インディーズ時代の匂いを引きずった頃の、つまり「Start」以前の楽曲が一番気に入っている。ちょっと前にカバーされた「My Generation」とか、名曲「風見鶏」も素晴らしいと思う。「声がなくなるまで」や「すてきな夜空」のおセンチ路線もよろしい。「Let's Go ヒバリーヒルズ」あたりのコミック路線もいい。そんな中でも、「Suicide Day」はとりわけ素晴らしい。歌詞→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND6920/index.html

 残念ながら、ボーカル・和弥ではなく、純太と呼人が歌っているので、夢から醒めて、呆然としてしまう。郷愁にも、一定のクオリティが必要だと思う。まあ、それは置いておいて、せいいっぱいの反抗がいい子の表現、あるいはいい子であることが反抗の条件となっている、というのがこの歌のいいとことろなのかとも思ってみたり。反抗する悪い子なんだけど、実は良い子で、自分が寄りかかる大樹を求めている。自分でその大樹を切り倒したりはしない。この子にとって、反抗っていうのはあくまでもその基点となる場所の存在を前提として成り立つような危うさと共にあるというか。
 大樹が倒れる、つまりパパとママの離婚を暗示する「ハンコを押したら」という箇所に「反抗したら」が木霊するところがミソか。なんだか、反抗の基点となる大樹を失う出来事に「反抗」を重ねているのが物悲しい。まあ、究極的には「僕」が自殺する、しかもウチではなく外で自殺するところに、彼の反抗の表現の核があるのだろうけど、その究極の反抗を可能とするのが、反抗の基点(ウチ)の喪失だというのがなんとも皮肉。
 度を越して反抗しちゃうと、反抗の意味がないというのがよくわかってて、なおかつそれをブラックに歌えるところがオモシロイのだろうか。その点、だんだんと毒がなくなっていって、ぜんぜん反抗しなくなる後期、というか末期の楽曲はつまらないだよなあ。