スウィーニー・トッド―フリート街の悪魔の理髪師

 自治会の引継ぎが拗れる。もっと機械的にできないものか。

 近場の映画館でレイト・ショウ。ティム・バートンジョニー・デップのコンビ『スウィーニー・トッド―フリート街の悪魔の理髪師』。
 かつて無実の罪を着せられ、終身刑に服す羽目になった上に、妻を殺され、娘を奪われた理髪師が、ロンドンで最も不味いミートパイを売る女とタッグを組んで復讐の鬼になるという話。理髪師が屠殺し、血抜きした人肉がパイの中に詰められ、お客の腹に収まるというコンセプトはかの『人肉饅頭』を思わせる。ミュージカルはどうも眠くなる。ジョニー・デップの歌声もなかなかいけるし、ハーモニーも美しいのだが、どうも私は苦手なようで。何度かオチかける。
 2階にある理髪店で屠殺された人肉が、手際よく下層のだだっぴろい床面へ落下、機械に投入されてミンチになる、という一連の流れとその表現の方法を勘案すると、この建造物はまるで人間の咀嚼から排泄に至るまでの活動そのものを構造的に表現しているように私には映る。まるで建物そのものが人間の似姿のような。しかも、そこから排出される「排泄物」=パイを食らうのもまた人間(お客)。人間が食べて排泄したものをまた食べるという自己完結したサイクルがなんともおもしろいところだが、そのサイクルをあの建物の構造と2人の分業体制に凝縮しているところがいいなあ。映画の冒頭、血が排水溝をだっと流れていくさまは、まるで血管を流れる血液のようでもあるし。
 ただそういうモチーフ自体はおもしろいと思うのだけど、話のつくりがやや荒いような気がする。主体的にある対象に対して復讐をする理髪師が、いつの間にか手段としての人殺しを自己目的化してしまい、ひたすら殺人が連続していくというあたりにもう少し説明が欲しいような。復讐したいという欲望が一人歩きして、ただの殺人鬼になってしまう、というモチーフ自体はおもしろいと思うけど、なんだかちゃんとした段取りが欲しいような。
 薄暗いロンドンに血が流れるその色彩の対比や、女の想像の世界のカラフルさが印象的。あと共謀する男女が共に目の周りに隈を作ったどんよりした感じで、それが最後あの男の子にも引き継がれるというところとか。血がびゃーと飛び散るさまは壮観。その飛び散り方に強弱をつけて、いろいろ工夫しているような。

[追記] 段取りが荒いと書いたが、2人が共謀して主体的に作り上げた体制に、2人の方が飲み込まれて、あのおうちが一個の強力な主体として2人を支配していくということでいいのか。