偲んで呷る

 叱ってくれる人は貴重であるし、叱られた記憶はどんな楽しい記憶にも代えがたい。
 元来根にもつ浅はかな人間であるせいか、褒められたことはすぐに忘れてしまうくせに、叱られたことはいつまでも覚えている。歳をとるにつれ、叱られた記憶が蓄積し、そのうちそれが溢れ出し、短期記憶を司る海馬にまで押し寄せてくるのではないかとすら、昔は思っていた。
 ところが現実には、歳月は、叱ってくれる人を、奪っていく。ある一定の年齢に達すると、誰も叱ってはくれない。瑕疵や過誤を犯しても、誰も咎めない。見て見ぬふりをする。だから、間違いを犯したときにそれを咎め、修正に導くのは、自分の中の「もうひとりの自分」の役割となる。そして、その「もう一人の自分」を育むのは、叱ってくれる人や叱られた記憶だと、私は思う。
 鬼籍に入った人を偲び記憶を巻き戻すとき、その人が叱ってくれる人だったかどうかというのは、何にも増して大事なことだと思う。
 あの先生もそうだった。
 けれど、叱られた記憶は自分だけのもの。代わりに、共有できる楽しい思い出を並べてみよう。
 紫煙をくゆらせながら酒を呷り、学生の肩を棍棒のような腕で叩きまわす。雨に濡れた芝生の上で、五里霧中の視界の中、サッカーに興じ、予定調和の転倒に悶える。コップのない酒席で、ペットボトルを鋏で切り、即席の杯を作り上げる。将棋に負けて、子供のように悔しがる。大雨の中、雨合羽でのしのしと歩き回る。大声で笑う。
 叩く。転ぶ。作る。悔やむ。歩く。笑う。そして、叱る。アカデミアにおいても、人後に落ちない立派な仕事を残されているが、私の心裡の海に浮かぶのはそんなたわいのないばかり。けれど、それでいい。検索エンジンに人柄までは引っかからない。
 最後にお会いしたのは、2006年3月19日のこと。とある先生の退官記念パーティで、司会を務められておられた。客が帰路について空っぽの会場で、空っぽのテーブルにでんと座って、ビールを呷っていた。私もお酌をしながら、ビールを啜った。「司会をしていると、ビールが飲めない」と笑った。「これからパーティが続くから、まだまだたくさん飲まないといかんのだけどね」とまた笑った。給仕係の女性がテーブルを飾る花を手渡し、むんずと掴み、笑った。哄笑が耳に残る。
 おっと、こんな顔をしていては、きっと笑われる。いや、叱られる。
 紫煙をくゆらせ、ビールを、ぎゅっと、呷る。