脳幹を鍛える

 週末は学会をほんの少し齧って、それからかたや遊び、かたや仕事の九重・鉄輪紀行。来週は旧友が集って日田でバーベキュー。年末には金沢の同窓会に混ぜてもらう。来年早々にはスペイン。
 世間はサブプライムローン世界恐慌に慄いているところだが、我が家の財政もそのうち破綻するのではないか。破綻したところでどこも買い取ってはくれないだろうし、不良債権化するのは目に見えている。金庫番に聞いてみよう。
 と書いたところで(あんまり関係はないし、そもそも関わりたくはないのだが)『プレカリアート』を思い出した。

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

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 この中に収録されている座談会でのA木*1の発言が凄い。

―では結果が約束されていないから努力ができないということですか?
A木 そうです。例えば、ある資格を取ることで就職活動が確実に有利になるというなら資格を取りますが、その確約がない以上頑張れません。フリーターはお金がないですから。資格を取るのにもお金が必要です。[中略] それを考えると、確実に報われること以外は、なかなか頑張ることができないんですよ。

 じゃあ、資格を持っている人は全部就職、っていうことにしたら、今度は確実に資格が取れるという保証がないと試験を受けたくない、ということになるのでしょうか。確実に理解できないのなら、資格を取る勉強も意味がない、ということになるのでしょうか。頑張るのは馬鹿らしいという文脈で『蟹工船』が読まれていると知ったら、小林多喜二は激怒すると思いますが。いやまあ、口が滑ったんだろう、と思いたい。いろいろ総合すると、どうも本気のようだけど。

 著者と石原都知事の対談はさらにぶっとんでいる。

石原 [中略] 世の中あまりにも芳醇になり過ぎた。僕はよく言うんだけど、人間の脳幹がいちばん大事なんです。脳幹をやられたら、人間は死ぬ。感情は全部そこから出てきているから、そこが強くないと駄目なんだね。生き甲斐、やり甲斐、体的な苦痛なんかに対する我慢ができない。苦痛を我慢する、寒さを我慢する。そういう我慢をしていない人間は、大人になったときに、不孝な人間になるという。まさに、そうだと思う。戸塚ヨットスクールなんかでも、脳幹を鍛えている。

脳幹をやられたら人間は死ぬ、というのは医学的に真実ではある。が、脳幹を鍛えるという発想が凄い。私の脳裏には、戸塚校長が金属バットで後頭部をがんがん殴る画が浮かぶ。いやまあ、比喩なんでしょうけど。比喩であって欲しいものです。ちょっとやってみようかしら。

*1:丸山真男をひっぱ叩いたうえで戦争が起きればいいなあとぼやいている、あの人