鬼六将棋三昧

 4階から地上に降ろして倉庫へと、何度も古紙を運んだせいだろう、筋肉痛に襲われる。いたた。

 

 名著。
 随想篇と実戦篇のふたつに分かれている。
 随想篇は将棋を触媒とした人情もの、阿佐田哲也風味のエッセー群で、将棋を知らない人でも楽しく読める。親父さんは賭博師だったようで。どれもこれも名エッセーだが、ふわふわした幻想性とスパッと斬れる切れ味からみて、私小説風の短篇としても通用しそう。「頓死」などとりわけ名作ではないか。
 実戦篇は鬼六自身の対戦記(棋譜つき)。斯界の伝説的棋士からアマ界の強豪、女流名人まで、機微の直感に長けた鬼六の観察眼を通じて丁寧に描写されている。私の知っている限りでは、升田幸三大山康晴林葉直子まで。
 三十年後ぐらいにこういう文章が書ける男になりたいのお。
 
 

 棋界の事とか、連盟の事とか、素人の私には全くわからないが、大念願が小念願に切り刻まれて、何もかも小出しになって、先生みたいに主義と情熱を押し通す時代とはすっかり変って来たんじゃないかな。そこを水鳥がスイッと飛び立つような引退をされた先生もあざやかだったが、その水鳥が飛び去ったあとの大きな波紋を瞬時に消してまたサラサラ流れ始める川の水もあざやかだった。小川も今では荒けずりではなく、その水のように冷たい統制力が備わって来たのだろう。
 そんな風に一つの人間の大きな経験というものは刻々と過去のものとなり、冷たい水の流れの向こうへ消えていくものかもしれない。乱麻の時代の風雲児、升田幸三が刻々と古人になり、川の流れの向こうへ過ぎ去っていくのかと思うとたまらなく淋しいんだ。升田先生に大悟はいらない。老いてなお、私があなたから学んだ好争精神を失わないで頂きたいんだ。川の流れに押し流されて老梅の花となったり、秋霜の菊となったりするのは先生らしくない。俺の死ぬのを待っている奴が多過ぎて困る、なんて、おかしなひがみ方はなさらず、そんな奴には逆に噛みついてやりゃ、いいんですよ。それが長生きの秘けつだと思うんです。先生は名人に香を引いて勝った男じゃありませんか。