僕と未来とブエノスアイレス

 やっと雨が止んだ。今回のは凄かった。近くに川がなくてよかった。

 『僕と未来とブエノスアイレス』というアルゼンチン映画を観た。
 ヨーロッパ由来のユダヤ人たちが肩を寄せ合って暮らす商店街、ガレリアが舞台。だが、そんなユダヤ人共同体の結束も深刻な不況の前に風前の灯といった有様で、どの店も軒並み売り上げを落とし、同胞が立ち退いた空き店舗に韓国人夫妻の参入を許す。そんな中、30になる主人公のアリエルは、祖父母の祖国ポーランドへの移住を決意する。生まれ故郷の窮状に見切りをつけ、新天地を目指す。しかし、気がかりは父のこと。父は下着店を営む母と幼い兄弟を残し、戦争に出征し、今ではイスラエルで安穏と暮らしている、と風の噂に聞く。そんな父をアリエルは許せない。ポーランドへの思いが滾れば滾るほど、父への執着は強くなっていく。そんなある日、ユダヤ人たちは商売敵のチリ人たちと揉め、100メートル競走で決着をつけることになる。レース当日、アリエルは父の姿を認める。というような話。
 モラトリアム世代のアリエルにとっての未来が、祖父母の祖国ポーランドという彼らのルーツ、つまり過去にある、という設定はありきたりだが面白い。東欧へアイデンティティ探求の旅、ということなら、両親とはぐれハンガリーで育てられた少女がアメリカにいる本当の両親に引き取られるも馴染めず、再びハンガリーを目指す、という筋立てのスカーレット・ヨハンソン主演『アメリカン・ラプソディ』がすぐに思い当たるところ。ただ、『僕と〜』のアリエルは、ルーツ、ポーランドへは行かない。父との関係を修復し、ユダヤ人共同体に留まる。そのあたりがユダヤ的だといってしまえばそれまでだけど、いずれにしてもユダヤ人の未来が過去への遡行によって簡単に手に入る、なんていう結末はまずありえない。
 19世紀末に未曾有の好況を謳歌したアルゼンチンは、欧州の二等国から大量に移民を受け入れてきた。ところが大戦後の政治の混乱で経済が疲弊し、慢性化したインフレに嫌気が差した民衆は、荷物をまとめ、アルゼンチンを去っていく。そのあたりはかつてナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か (historia)で読んだが、そんなリバース・マイグレーションの時代が、ポーランドに恋焦がれるアリエルの欲望の背景を成している。
 しかしアリエルの欲望の対象が、よりによってポーランド、というところが全くの皮肉で、もちろんアリエルはポーランドのことなんかろくすっぽ知りもしない。どれだけの苦労をして祖父母がポーランドを出て、アルゼンチンに根を張り、ここまで倹しいながらも生活を築き上げてきたか、彼には思いもよらない。ましてや、ユダヤ人に帰るべき真正の故郷などない、なんて脳裏を掠めもしない。そういう彼の無知蒙昧が、戦争で片手を失った父との邂逅によってどのように変わっていくのかが『僕と〜』のみどころだった。ミニスカ穿いてセクシーを気どっているが、アリエルしか転がせない(もちろん観客は無理)四十女がキャラ的には一番。全体的にまあまあの映画。
 ところで、おじさんがぺらぺら喋っているシーンで嫁がひとりころころ笑っていた。字幕があるとはいえ全編スペイン語の映画、いつの間にそんな高いステージに達したのだろう、と思って何が面白いのか訊いてみたら、ただ笑いのツボが違うだけだった。顔がおもしろい? わからんなあ。