風車祭


 2週間前だったか、高杉晋作ゆかりの功山寺にて紅葉狩り
 功山寺に向かう途中、都落ちの道すがら、菅原道真公が、焦慮にやつれた顔を映して自画像を描いた、という謂れのある井戸を見つけた。板切れや土で埋め立てられた井戸の上には、小さな梅の木が生えていた。唾を飲んだ。
 内装を洋風に改築した古民家喫茶店でケーキと珈琲。母娘二代で営んでいる軽食屋でつみれ汁。夜は駅前でふく。食べものの記憶だけはなぜかいつもゆるぎない。

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風車祭(カジマヤー) (文春文庫)

風車祭(カジマヤー) (文春文庫)

 「カジマヤー」と読む。「マブイ」(生霊というか魂というか)を落とした十七歳の青年が、ピシャーマと名乗る「マブイ」に出会い、恋に落ち、不幸な初体験を経て、島の危機に立ち向かい、予定調和の別れを乗り越え、逞しく成長する物語。沖縄の習俗からたちこめる、青臭い草いきれのようなファンタジービルドゥングスロマン
 東京に沖縄の生態系を移植して現代の神話を物語るSF巨編『シャングリ・ラ』といい、宦官と側室の顔を使い分ける寧音/真鶴を中心に、維新前夜の琉球における外交と大奥政治をのべつ幕なしに語りつくす『テンペスト』といい、この人の物語はどれもめっぽう速い。けれども、『風車祭』はゆっくりゆっくり流れていく。各キャラクターにすこしずつ新しい設定を加えながら、沖縄の風俗を紐解き、ひとりひとりの役割を明確にしていく。そして永遠に繰り返す島の暦がシマンチュの生活を静かに貫く。
 「マブイ落ち」という、死んではいないがはっきり生きているともいえない半死半生の状態が、物語のテーマになる。日本人だけど日本人でもない。祭事は滞りなく行われるがなにかが忘れ去られている。好きなんだか嫌いなんだか。などなど、矛盾しているはずのものごとやできごとがいつの間にか矛盾なく常識と非常識を分ける閾の範囲に収まっている。
 暦上の画期、祭事儀礼は、日常、触れてはならない神と人とが交わる場でもある。祝祭的な時空間は、世俗の関節を脱臼させ、破廉恥も下克上も嘘八百も赦す。つまり、各章、祭事の名称をタイトルに戴く『風車祭』は、お祭りの世界だからなんでもありで、なんでもありなわけだからまとまるものもまとまらず、物語は停滞する。*1
 だから、妖怪か自縛霊のようなフジが一番目立つ。端役の職分を弁えずに、いつのまにか主人公の地位を脅かすほどの存在感を発揮するフジは、九十七年のあいだ、そんなお祭り騒ぎを生き抜いてきた。いや、生き抜くためにお祭り騒ぎをしてきた。結婚したのも離婚したのも出戻りの娘に全てを投げ出して健康に悪いからと何もしないのも、生き続けて風車祭を迎えるための手段だった。同じように、拾い食いしたり、残飯を漁ったり、自分を鞭打ったり、三角木馬に跨って自分を苛めるのも、彼女にとっては生命力を賦活するための手段だった。たとえ、周りの住民には矛盾した老婆の姿が狂った妖怪に映っても、フジは意に介さない。誰にも理解されない、生き続けるためだけに繰り返される時間がフジには流れている。だから、フジはおぞましくもあり、神々しくもある。
 革命や変化、流転の速度が歴史をつくる。けれども、歴史の水底には、環流のようにただ繰り返されるだけの祝祭的な時間が息づいている。池上の小説には、それがどんなに速い物語であろうとも、どこにも行かずに足踏みを続けるおぞましくも魅力的な時間がてぐすね引いてひっそりたゆたっているように思う。
 たいてい、それは変人、ときには妖怪のかたちをとり、声を殺して笑うチェックポイントになる。「拾い食いする老婆」のように。

 

ポツポツと雨粒が頬に落ちてきた。どうやらここはまだ橋の上のようだ。目はまだ利かないが、雨が頬にあたってカーブを描きながら落ちる感触は、間違いなく自分の頬の輪郭を描いていた。皮膚が冷たいと雨に震えている。彼はまだ死んでいないことに胸を撫でおろした。

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ダイナー

ダイナー

 ある女性が手軽に金儲けしようとするも、ヤ印事件に巻き込まれて拷問され、殺し屋が集まる定食屋の奴隷として売られていく話。どこにも行かないノワール、引き篭もりノワール。表紙のハンバーガーは、作中の名物料理であるだけではなく、物語の構造を即身仏のように体現している。ありがたや。
 平山の物語に関して語る行為は、人倫に悖る行為なのでなにも書けない。ただし、趣味が悪いのではない。人が悪いだけのこと。
 『独白する』ほどの完成度ではないが、平山の新境地。

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 サッカーがおもしろい。
 チャンピオンズリーグでは波乱が相次いでいる。バルサがホームでロシアのクラブ、ルビン・カザンに敗北を喫したゲームに象徴されるように、ビッグクラブが喘いでいる。ミランやレアル、ユベントスといったビッグクラブの皮算用はことごとくご破算になり、リヴァプールに至ってはグループリーグ敗退が決定した。代わりにボルドー、リヨン、マルセイユといったフランスの古参クラブの躍進が目覚しい。今季はモナコ以来の決勝進出もあるかもしれない。
 トルコやロシア、ウクライナの殺気立ったスタジアムでビッグクラブが四面楚歌を浴びている状況がたまらない。なかでも飛びぬけて素晴らしい画づらだったのが、ルビン・カザンバルサの試合。ピッチの外には雪の塊、ピッチの上には粉雪が舞う。ぬくぬくとした格好でぬくぬくとした部屋のなかでみている私にはそれぐらいでは寒さのほどが伝わらない。だが、バルサのベンチが大写しになると、否がおうにも寒さが網膜に焼きつく。コタツ布団のような防寒具をかぶせた寝袋に包まった選手たちが身体を捩りながらぶるぶる震えている。60分ごろからアップを始めたアンリが、80分過ぎになってピッチに出たのが監督との不仲説に油を注いだらしいが、あの環境ではそう簡単に身体は温まらない。なんでもゴールキーパーバルデスは、90分のあいだに七キロ走破したらしい。ボールが飛んでこないことで有名なバルサのキーパーが、である。視床下部に霜が下りる、そんな氷点下、半袖でプレイするプジョールはもはや人間であることを諦めたようだ。特殊な内燃機関をお持ちらしい。
 各国のリーグ戦も、クラシコイタリアダービー、ビッグロンドンダービー、マージーサイドダービーローマダービーと、街を二分するダービー熱で赫々と燃えてきた。客席で歯を磨くやつがいるくらい盛り上がっている。おかげでずいぶんと忙しい。
 さて、サッカーといえば、来年の6月に南アフリカ共和国で行われるワールドカップの抽選会もあった。こちらも生中継で「観戦」した。スペシャルコメンテーターとしてイビチャ・オシム前日本代表監督がはるばるきていた。日本にとって理想のグループは「ブラジル、コートジボワールポルトガル」と同じ組(奇しくも北朝鮮は彼らと同衾することになった)、とのたまうオシム氏に絶句する。なんでもそれなら油断しないで戦えるから、だそうで。私はオシム氏のよき理解者ではないから彼のよさが皆目わからないのだが、いずれにしてもことごとく質問者の揚げ足をとるような受け答えでスタジオをどんよりした雰囲気にしてしまうのはいかがなものかと思う。それがオシムのいいところ、なのだとしたらついていけない。オシム信者の方には申し訳ないが。
 で、抽選の結果、日本はオランダ、デンマークカメルーンと同じ組に入った。ほとんどのチームが日本より強いのだから、まずまずの籤運ではないかと思う。対他関係より、1500→0→1400と移り変わる標高差に苦労するかもしれない。いずれにしても、このグループを突破したら、それだけで世界は驚くと思う。
 南アフリカは厳しい組に入った。メキシコ、ウルグアイ、フランス。史上初の開催国グループリーグ敗退もあるかもしれない。
 それから注目は日程。決勝トーナメント一回戦を勝ち抜いたABCDのグループのチームには、次の試合までに中五日ある。しかしEFGHのチームには中三日しかない。さらにグループリーグの順位いかんによっては、中二日という強行日程でトーナメント一回戦を戦わなければならない。フランス、アルゼンチン、イングランド、ドイツにとっては有難い日程だろう。オランダ、イタリア、ブラジル、ポルトガル、スペインには、やりくりの手腕と選手層が求められる。とりわけ、もっとも厳しい組に入ったブラジルとポルトガルは、案外早い段階で姿を消す可能性もある。
 鬼に嗤われるだろうが予想。監督がマラドーナのアルゼンチンに期待したいが、予選での数試合を見る限り、かつてのジーコジャパンのように神風に助けられた印象しかない。ポテンシャルからいえば、優勝しても驚かない。その一方で、グループリーグ敗退もありうると本気で思う。
 本命・イングランド、対抗・スペイン、単穴・アルゼンチン、連下・イタリア、ということで、サイクルの絶頂期にあるイングランドの優勝を予想する。
 日本は、カメルーン戦次第、としかいいようがない。そして、カメルーンの試合をみたことがないので、なにもいいようがない。オランダもあの一試合だけだし。デンマークは数試合みたが、オーストラリアに近いイメージ。手数はかけない。とにかくベントナーを筆頭に、でかい。かつての巧緻な中盤の面影はないので、ポゼッションでは勝てるだろうけど、セットプレイでやられそう。平山を呼んだらどうだろう。世界で一番走る(?)サッカーをしながらときどきサボるためにも。
 
 というわけで、二か月分ぐらい(目分量)をだだっと書いた。よいお年を。

*1:島の言葉で喜怒哀楽のすべてを表す曖昧な「だからよー」もひとつの例か。トンガの「オイアウエ」も似たようなものだ。「多義的な涙」(舌津)ではないが、南国のファジーさはおもしろい。