防御は最大の攻撃

ゴールキーパー論 (講談社現代新書)

ゴールキーパー論 (講談社現代新書)

 ゴールキーパーが目立つチームはだいたいにおいて劣勢に立たされている。守備も攻撃もうまくいっていない。それほど実力のないキーパーでも、当該ゲームにおける最優秀選手の栄誉に浴する機会は訪れる。ありがたくない脚光だ。
 対して強いチームのゴールキーパーにはまるで存在感がない。黒子のようだ。ボールに触れることさえほとんどない。だからこそ、強いチームのキーパーには常にゴールを背にしているという自覚と責任と強い気持ちが求められる。ひと試合に一度あるかないかの危機を凌ぎ、平均点の評価を得る。割りに合わない仕事に映る。
 仕事も他のフィールドプレイヤーとは一味違う。手を使えるというルール上の区切りに加えて、ゴールキーパーはチームの一員でありながら、いつも独り。噴き出す汗を拭い、目を焼く日射しを手で遮りながら。悴む手を擦り合わせ、小刻みに足を動かしながら。失点すればその責を一身に負う。ボールをキャッチして当然、シュートを弾き出して当然。何度窮地を救おうと、ただ一度のミスでベンチを温める日々を過ごすことになる。他のフィールドプレイヤーが複数のポジションを担当できる<潰しの利く駒>であるのに対して、キーパーは職人の名にふさわしい昔堅気の専門職だ。
 本書は、ある特定の種目に拘るのではなく、ジャンルの垣根を跨いでゴールキーパーという「職業」に着眼した点において類書の枠を大きく外れている。
 サッカーはもとより、ハンドボール、アイスホッケー、ホッケー、水球と、ゴールを守ることを仕事とするキーパーたちを観察し、彼らにインタヴューをする。
 点を獲ることを目的とするボールゲームにあって、ゴールを守るという発想はいつごろどうやって生まれたのか、という素朴な問いかけに始まり、徐々にゴールキーパーたちの生態に迫っていく。
 キーパーにボールを故意に当てると反則となるハンドボール
 味方がゴールを決めてもルール上歓喜の輪に加われないアイスホッケー。
 甲冑のような防具をつけて暑さや不自由さとも戦うホッケー。
 ボールを止める技術よりも、絶えず水上に上半身を浮上させるための特殊な泳法の巧拙が才能のリトマスとなる水球
 そしてピッチの全域を最後方から見渡しながら、味方に的確に指示を送るためのコミュニケーション能力が問われるフットボール
 それぞれがそれぞれの競技に固有の悩みや矜持を抱いてゲームに臨んでいる。ただキーパーという「職業」はひとつの同じ匂いを発している。それぞれが他の競技のキーパーを経験していることにも一因はあるかもしれない。
 キーパーという「職業」の「分母」は、彼らにゴールを守っているという意識がないということだろう、と思う。彼らは常に攻めている。シュートを打つタイミングをめぐる駆け引きを仕掛ける。彼らは攻め手にシュートを「打たせている」。あるいは攻め手にパスを「出させている」。ゴールキーパーは自陣のゴールを守る仕事ではない。むしろ彼らは敵陣のゴールを陥れるための尖兵だ。
 わたし自身、小学校五年生のとき、少年団に入って初めて経験したポジションはゴールキーパーだった。そう、当時としては一番下手な子供がやらされる仕事だった。5失点ぐらいしたような気がする。なにもわからなかった。
 それからわたしはディフェンダーに転向した。サイドバックセンターバックを高校卒業までそれなりにこなした。数少ない得点の記憶は今でも稀少な宝物だ。しかし、ディフェンダーだったのに、不思議と失点シーンの記憶がない。ギャンブルでいくらかの紙幣とともに、敗北の記憶がなくなるのと同じ原理だろうか。その代わり、体を張って何度も自陣ゴールを救うキーパーの雄姿は覚えている。不甲斐ないわたしの尻拭いをしてくれるゴールキーパーは、無言のままいつもスーパーセーブでわたしの背中を押してくれた。
 思えばわたしの後ろにいたキーパーたちの背格好はさまざまでも、性格はそれぞれよく似ていた。寡黙だが芯は強い。彼らもやはり攻めていたのだろう。末端は先端になりうる。この年になって彼らの人となりが少しだけわかった。