調子はずれ

 寒いなか長々歩いたせいか、首こり肩こりがひどい。きっと躰の変なところに力が入ってかちんこちんになっていたのだろう。腕をぐるぐるまわして肩甲骨の「骨音」を響かせたり、鶏のように顔面で空を突いたり引っこめたりしている。ぱきぱき、ごき、と威勢のいい音がするとなんだか少し快方に向かっているような気分になる。ときどきすこんと嵌る感覚が爽快で、もうやめられない。中学の時分に流行った「指鳴らし」のようなものだ。しかし、自前のカイロプラクティックで、正しいところに骨を落としこめられているのかどうか、ときどき不安になる。むしろわたしの首は躰から外れていっているのではないだろうか。ある日首がすとーんと落ちてきても、今の反射神経でちゃんとキャッチできるかどうか。いや、たぶん落とすだろう。ならできるだけ柔らかいところにいよう。硬いところに落としたら痛いから。
 というふうに、調子が上がらない。読むほうも書くほうも、一蓮托生、全然ダメ。午前中は腐乱死体で、午後に死蝋化して、夜に淡い意思を得る。うーん。なに書いてんだろ。それでもどこかに爪痕は残してやる。というわけで、調子が悪いときはブログを書くことにしている。
 ところで、『トリストラム・シャンディ』は今第五巻。よーく思い返すと音楽の比喩がたびたび出てくる。時は古典派の前夜、バロックの末期、バッハのころ。しかし、フーガというには対位法なんてお構いなしのようだし、和音なんていう概念がそもそもなさそうだ。不協和音の連続。絶対音楽やシュレーヴァーのほうが親和性が高そう。*1映画だったらフェデリコ・フェリーニとかデヴィッド・リンチとか。と、思ってちょっと調べてみたら『トリストラム・シャンディ』関連のリンクを網羅したhttp://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/Sterne-J.htmlを見つけた。やっぱ研究者ってすごいなあ、とつくづく思うわけで。ちょいちょい読んでみよう。