前半戦総括

 
 初日はセーヌを背骨とした四辺形をただ歩いて錬金術にうんざり。通り一遍の感覚はだいたいつかんだ。
 
 二日目はルーヴルとノートルダム。ルーヴルではひとまずわたしは彫刻だけ。ヴァニタス、トランジ系のグロイところで時間を費やす。しかしまあ、ピュジェの作品の前で足が止まる。この日までピュジェという人が彫刻の世界にいることさえ知らなかった。大理石のマチエールを忘れさせる鑿使い。ベンヤミンは複製芸術の登場を彫刻の時代と対比させていた。複製とは対極にある一回性の、つまり手が滑って意図しないところを削ってしまったらそれっきりの、芸術だものね。ピュジェは彫刻の時代のトリを飾る人なのかもしれない。
 セーヌの中州、シテ島に聳えるノートルダム寺院は、ユゴーのベストセラー小説上梓を機に見直され、パリの中心に返り咲いたゴシック建築。というような情報は、見学しながらパンフなどで補強していく。ほとんど白紙状態で体験したいもので。で、ここの400段の階段と格闘して南塔を制覇、眺望絶佳と若干の高所恐怖を堪能する。もう膝の裏が痛い。

 

 三日目はちょっと趣を変えて、メトロと電車で郊外へ向かうこと30分、ヴェルサイユ宮殿に到着。細部に関しては、あまり驚きはない。けれど、この意匠たるや腰を抜かす、というより、膝が抜けそう。歩きすぎだよ。忘却の「渕」に引っ掛かっていた正信、じゃなくて、都市計画についての本を急ぎ救出する。たしか、パリの都市計画、主として19世紀のオースマンによる大改造を扱った本だったと記憶するけど、著者は都市計画の起源をこのヴェルサイユに求めていた。日本でいえば参勤交代や江戸に肉親を預けさせるあの狡猾な江戸幕府の政策に相当するヴェルサイユ全員集合政策。それを可能にしたのは、この都市をつくる、デザインするという発想らしいのだけど、ほんとにここにくると実感する。幾何学的デザインばかりが目につくけど、マリー・アントワネット離宮のほうは迷路のように入り組んでいて、実に質素で明るい農村の風景が広がっている。ヴェルサイユやパリの「風水」について、左右対称の人為性みたいなところばかり論じられているけど、見通しのきかない林の迷路で迷っているうちに、それって本当なのか? という疑問が浮かぶ。


 
 四日目はギュスターヴ・モローの館にオランジュリー、ルーヴルと美術館づくし。途中、パリコレの(おそらく)トップモデルたちと遭遇する。また今度書こう。晩は、誇大妄想に憑かれた、ほとんどビョーキなのではないかと訝りたくもなる、とある室内犬好きの先生のブログを(初めて)読みながらワインをがっぱがっぱ飲む。いやー、酒がすすむわ。
 

 今日はオルセーで迷子になる予定。普段歩いてないくせに、よく歩けるなとわれながら思うのだけど、いろんなところが悲鳴を上げている。ただ悲鳴を無視しているだけだよ。