ニシム・ド・カモンド、ちょっとモンマルトル

 第一日曜のルーヴル・オルセーは無料の日ということで、人出の多さを厭い、予定変更、ニシム・ド・カモンド経由、モンマルトル散歩に興じることにする。
 とうとう堕落して徒歩を捨て、地下鉄を利用する。とても楽。
 ところが地上に出て、なけなしの方向感覚を喪失。地図に載っていそうな大きい建物を探して、方向感覚を取り戻す。パリはどこも街路がよく似ていて、どこにいるのかときどきわからなくなる。
 で、ニシム・ド・カモンド。一説によれば、ルーヴルよりも多くの資金を投じて、古今東西の家具・絵画を買い集めたという銀行家の家、ニシム・ド・カモンド邸。ロンドンのサー・ジョン・ソーンズ邸と比べると、ごちゃごちゃしたところがまるでなく、整然、すっきりと整理されている。

 食器棚。キャビネといえば、大英博物館高山宏のほうがはるかに雄弁だと思うが、これがおもしろいのは食器のひとつひとつにそれぞれ違う種類の鳥が描かれているところ。食器を仕舞うだけではなく、その食器に描かれた鳥を陳列する。鳥の剥製の蒐集ではなく、鳥が描かれた食器の蒐集という迂回。食文化もまた飽くなき博物学的好奇心が腹を満たす食堂のようなものだったのだろう。
 オリエンタルなタペストリーと西洋ど真ん中の絵画が各部屋に並び、家具はどれも一風変わっている。廊下のそこかしこに書見台が備え付けられているのはどういうことだろう。立ち読み用だろうか。サロンでは本を読まないだろうし、書斎がわりなのだろうか、と推測する。あるいは召使たちがクラリッサ・ハーロウに類する小説を読んでいたのだろうか。
 

 
 わたしの知る限り、18・19世紀ヨーロッパでは、蔵書を並べてある場所は男の社交場、ライブラリーであり、書斎(study)は廊下の窓際にあるなんの変哲もない机だったりする。ジョン・ソーンズ邸は質素な書斎と豪奢なライブラリーの区別がはっきりしていて、感慨に浸ったものだったが、ここではもうひとつ曖昧な気がする。サロンの机の上に置かれているドキュメントを見る限り、サロンで本を読んでいたのだろうか。とすれば、プライヴェートってどこにあるんだろう。などなど懇々と考え込む。
 


 
 螺旋階段にエレベーターに鏡張りの隠し扉(おそらく召使が主人たちと顔を会わせないための工夫)などみるべきところはさまざまだったが、いちばん興味を惹かれたのは玄関近くにあるふたつの採光窓とその延長線上にかかっている絵画。まるで風景画が都会の中で自然の風景を眺めるための窓であるかのよう。日本庭園の借景のようなものだろうか。窓も絵画も、鏡のように、空間の奥行きを演出する視覚装置であるように思える。
 そんな歴史的文脈を無視し、われわれは視覚装置のひとつである鏡を利用して、2ショット写真を撮ったりもする。

 その後、モンマルトル周辺を散歩するも、横殴りの風雨に水を差され、教会やムーランルージュあたりをぐるぐるとあるきまわったところで満足し、ひきあげることに。
 こんな初期ユトリロっぽい風景もある。