2012年03月24日のツイート
@_pilate: トッテナム、全員まとめてお祓いしてもらったほうがいいんじゃないか?
2012-03-24 22:35:40 via web
@_pilate: アガンベンとネグリをすり替えたらどうなるだろうURL
2012-03-24 19:28:41 via web
@_pilate: @the_Obscure こちらこそはじめまして。自縄自縛の不自由なら甘んじて。OZさんの呟き、いつも楽しませていただいております。
2012-03-24 19:02:33 via web to @the_Obscure
@_pilate: つい、メシを二合炊く。今日は独り暮らしなのに。
2012-03-24 18:36:55 via web
@_pilate: 嫁はん、実家に帰る。といっても喧嘩とかDVとか性格の不一致とかではない。帰省だ。わたしは一泊二日の独り暮らしだ。
2012-03-24 18:03:44 via web
@_pilate: いずれにしても、研究者には向いていなかったな、オレ。
2012-03-24 17:02:47 via web
@_pilate: しかし今にして思えば、「移動」や「旅」という視点は、惜しいところに触れていたのかもしれない。
2012-03-24 17:02:16 via web
@_pilate: 視野狭窄、というより、視覚に拘ること自体、狭窄への第一歩。
2012-03-24 16:58:26 via web
@_pilate: かつて、黒人文学を研究していたころ、ずっとまとわりついて離れなかった違和感の根源に触りつつあるような気がする。
2012-03-24 16:55:46 via web
@_pilate: 『千のプラトー』、おもしろい。けど、理解してるかって問われると・・・。知らない人に頭を撫でられたみたいに、ぞわぞわっとする。
2012-03-24 16:51:46 via web
@_pilate: 読むのが遅い、書くのがのろい、ひどいもんだ。
2012-03-24 16:06:49 via web
@_pilate: 「隙間を文学と定義するなら、文学空間全体は空っぽとなり隙間の存在する余地がなくなる」「あなたたちが文学だ。そこにわたしが含まれるかは、わたしが決められることとは信じられない。」URL
2012-03-24 13:34:46 via web
2012-03-24 13:14:49 via web
@_pilate: 佐々木健一は『美学への招待』もおもしろそうだけど、『日本的感性』のほうに手が伸びる→URL
2012-03-24 12:47:53 via web
2012-03-24 12:44:44 via web
@_pilate: ひとつひとつの作品が批評行為となる時代。批評は死んだのではなく、作品に呑みこまれた。URL
2012-03-24 12:27:46 via web
@_pilate: 昨晩、『狂人日記』、後半読んでて泣きそうになる。しかし寝る。睡魔は涙腺より強い。
2012-03-24 11:54:45 via web
@_pilate: 死体でも、創造物でもない、亡霊、それがデスマスク。
2012-03-24 11:52:42 via web
@_pilate: 静止した貌は読めない。生きている表情を読むことはできても。だから死に顔は解釈を呼ぶ。いみじくもエーコがいうように、謎を秘め、解釈を呼ぶ作品だけが傑作に「なる」。死に顔は傑作になる運命にある。
2012-03-24 11:49:57 via web
@_pilate: しかし、蝋という素材。「展性のある肉」。蝋人形のナマナマしさは、視覚文化に限定されるものだろうか。目を介して「触っている」から生々しく感じるのではないだろうか。
2012-03-24 11:45:29 via web
@_pilate: ギロチンの美学。肖像機械としてのギロチン。展性に富む顔を凝固させる機械。肖像画、ライフマスク、デスマスク、ギロチン、そして写真。切れ目のないつながりを切断する機械は、モノ(躰)と表象との経絡を想像させるメディアとしても働く、ということか。
2012-03-24 11:41:52 via web
@_pilate: 王のふたつの身体、法王の無二の身体、王権と市民権いずれの側にあっても権力のアイコンとして機能するデスマスク。
2012-03-24 11:35:36 via web
@_pilate: 啓蒙期を経て、美術品へと変わるデスマスク。貌と石膏仮面の隙間にギロチンが落ちる。
2012-03-24 11:33:29 via web
@_pilate: 言葉による彫刻、「エクフラシスekphrasis」。あくまで視覚に隷属する修辞、ミメーシス。
2012-03-24 11:31:34 via web
@_pilate: 「瀆聖」ということであれば、アガンベンよりもバタイユなのでは?
2012-03-24 11:27:43 via web
@_pilate: 世紀転換期における入水のイメージの流行、ドザエモン無名女性@セーヌのデスマスクが喚起する文学的想像力などなど。やはり日本のデスマスクは明治期以降。多くの文豪たちが脱亜入欧のポーズを石膏仮面に求めたのはおもしろい。
2012-03-24 11:25:08 via web