ご遺体

ご遺体 (光文社古典新訳文庫)

ご遺体 (光文社古典新訳文庫)

 イーヴリン・ウォーの名前はよく聞くけど、戦後英文学を専門にしている人しか読まないのじゃないかしら。とにかく影が薄い。世の小説読みの受けはいかがなものだろうか。それはさておき、わたしのウォー初体験はこれだったわけだけども、佳作だと思う。ブラック・ユーモアがどす黒い。ずぶずぶ。
 ハリウッドセレブ御用達の葬儀会社、ペット専門の葬儀会社を舞台としたラブ・ロマンス。というまとめは腑に落ちないだろうが、そういうまとめでいいと思う。あらすじをまとめることは小説を読むこととなんの関係もないのだし。
 エンバーミングその他の屍体保存技術の発展に、おそらくはハリウッド御用達ショービジネスのコスメ技術等が融合して、葬儀業界が出来あがっている。冒頭に仄めかされているように、これらの屍体改造技術に先鞭をつけたのは、整形技術だったと推察される。19世紀初頭から主に傷病兵を対象として始まった整形はやがて美容業界をつくり、高須クリニックに至る。『未来のイヴ』はこの身体改造技術とピュグマリオン・コンプレックス邂逅の産物だろう。ただし、生を作り出したり、生者の美を扱う技術は、死者を飾る技術へも転用される。そして屍体を生き返らせる技術へ(山口雅也『生ける屍の死』)。
 わたしがウォーに感心したのはそんな文化史を裏書きするジャーナリスティックな側面ではなく、これら葬儀業界で働く人間を「藝術家」として描くその筆致だ。屍体に化粧を施し、ポーズを決め、表情を整える彼らは、藝術作品の作り手としての矜持を強く仕事に勤しんでいる。主人公役を宛がわれたへぼ詩人がすっかり想像力を枯渇させ、バートルビー症候群よろしく何も書けず、かつての桂冠詩人たちの遺産を剽窃して女性に送っているエピソードなど、まさしくアートとしての死化粧と、あるいはアートの死と、著しい相性の良さを見せている。
 ロマンティックな「天才」概念の許に「藝術」を神聖視した時代は終わっていく。すでに19世紀の終わりには、藝術はデザインや広告の分野へと浸透し、職人の領域を形成しつつあった。そして複製技術時代の藝術は、その評価持続の儚さを加速させていく。一世を風靡しても歴史に残らない。残ったとしてもそれは顕彰するためではなく、なんとか忘れないように心掛けるためだ。近寄りがたさを身近に出来させるアウラへの憧れが始まったのは、なんでも身近なものにしてしまうテクノロジーの進歩がアルスとテクネーの違いをすっかりわからなくさせてしまった20世紀のことなのではないか、とわたしは思う。
 本書にはいくらか詩人が登場する。葬儀業界のアーティストたちの輝きを尻目に、詩人の誰もが才能を枯渇させている。彼らは藝術家が藝術家だった時代の生き残りであり、藝術が日常的なアートに駆逐されていく時代の目撃者なのだろう。なんとなれば、本作の表題であり、葬儀業界の隠語、"the loved one"は、神に愛された藝術家の「天才」幻想の葬送を当て擦っているように聞こえなくもない。