ディープインパクトと『戦争と万博』

 まずは神戸新聞杯を検証。
 
 パドックの気配:ディープややテンション高め。しかし、いつものことなので心配なし。馬体重増減なし。見た目にも普通以上の仕上がり。ストーミーカフェアドマイヤジャパン細め、テンション高い。キララ(池添に乗り替わり)、非常にいい気配。他ではローゼンクロイツもよい。全般的に、ディープを負かそうと各陣営の勝負気配が漂う。というのも、ぎりぎりの仕上げの馬が多い。3000メートルの菊花賞ならいざしらず、2000メートルの神戸新聞杯でここまで仕上げてくるとは。しかし、ディープは超順調。素晴らしい夏を過ごしたようだ。騎手がまたがると盛んに首を振る。しかし、尻っぱねもないし、許容範囲。
 
 本場場入場:ストーミーカフェ返し馬にならず。テンション高すぎ。トウカイトリック落ち着いている。ディープ好気配。柔らかいフットワーク。勝負ありか。キララ、やや掛かり気味。アドマイヤもやや興奮している。ローゼンクロイツはまあまあ。

 レース:いよいよスタート。ディープ、スタート一息、後方2番手を追走。ストーミーカフェ、逃げ宣言どおり単騎の逃げに持ち込む。縦長の淡々とした流れ。残り800から、ディープ徐々に進出。4角入り口、ほとんど先頭に並びかける。エンジンが違いすぎる。先行集団、全滅の気配。直線半ば、すでにぶっちぎり態勢。肩ムチ一発。ほぼ馬なりで圧勝。中団待機のシックスセンスローゼンクロイツが2着、3着。アナウンサー、興奮のあまり「3馬身、4馬身、5馬身」などと口走ったが、結果2馬身半。レコードをコンマ5秒更新。次元が違いすぎる。春の段階である調教師が「ディープの敵は現役最強馬ゼンノロブロイしかいない」といっていたが、もはやその言葉を疑うものはいないだろう。菊のあとがどうなるか楽しみだが、おそらく有馬記念あたりでは確実に最強馬対決が実現するはず。ディープとの差は埋まるべくもないが、シックスセンスの成長ぶりは目を引いた。あの不器用な馬が、中団でしっかりと折り合って、終いもしっかり伸びた。現時点では、ダービー2着馬がいなくなった以上、この馬が菊の連候補最右翼だろう。他は、上積みは見込めない。距離や展開の問題はあるが、力的にみて序列は決まったようだ。

 続いて本を顧みる。

 ディープインパクトの秋が始まる一方で、愛・地球博がいよいよ閉幕を迎える。日本の辺境に住む者にとって、そんな大それた国家行事は無縁の存在だが、いかんせん未だ万国博覧会にこんなにも惹きつけられる人がいるものかと驚嘆した。人類の進化の度合いを示す科学技術の進歩をわかりやすく展示し、人々のSF的想像力を補完してきた万博も、欧米の帝国主義植民地主義の衰退と相俟ってその開催意義は薄れてきた。進歩の可能性は、1972年ににローマクラブが発表した「成長の限界」というレポートをきっかけに、次第に「持続可能性」(sustainability)に取って代わられてきたし、いまや鎌倉幕府豊臣秀吉政権のように領土拡大を内政安定の基本原理に据える国家は皆無だ(と信じたい)。かつてのように人類の無限の進歩を信じる思想は、もはや時代遅れになる一方で、未来を俯瞰的に予見する絶対的なヴィジョンがなくなってしまった喪失の時代を生きる我々にとって、未来はほとんど今晩のおかずを考える程度の些事を(少なくとも私にとっては)意味する。今や未来は想像された瞬間、即座に廃墟へと姿を変える。
 

戦争と万博

戦争と万博

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美術評論家椹木野衣(さわらぎのい)の新著(といっても、もう半年前の本だが)、『戦争と万博』は、1970年の大阪万博に展示された芸術作品が、様々な形で災禍や袋小路の反影となり、未来への指針を示すはずの万博が過去の廃墟の展覧会と化していた、と喝破する。万博は形式上国家規模のイベントであるがゆえに、どんな前衛であっても保守へと作品を回収してしまう性向を備えている。にもかかわらず、椹木はその枠組みが大阪万博で必ずしも保持されてはいなかった、と考える。全編レトリック満載、「どこでもドア的想像力」で20世紀を駆け抜ける。
 第7章「ダダカンと“目玉の男”」は特に面白い。1964年の東京オリンピックと同時並行的に敢行された「首都圏清掃整理促進運動」という公衆衛生運動が、異端を排除し精神異常者や変質者を病院送りにする画一化の風潮をある意味帯びていたのに反して、「ダダカン」こと糸井貫二はこれみよがしに全裸で街を駆け抜ける。日本全体が進歩主義史観を信奉し、東京オリンピックから大阪万博、そして万博の2年後に発表された「日本列島改造計画」から成る一直線上を駆け抜ける高度経済成長期を、神出鬼没「ダダカン」は逆向きに駆け抜けて見せた。そんな「ダダカン」が進歩主義史観を標榜する万博のシンボル「太陽の塔」を占拠した瞬間に、椹木は未来が廃墟と一体となるある種の既視感を覚えるのである。といった稚拙な概略など、ダダイストダダカン」の奇天烈さの前に何の意味もない。刮目して読むべし。読むべし。読むべし。今日もカトキチレトルトカレーを食べながら、私は廃墟と化した博論に向かうのであった。日記じゃないよな、これ。うん。