アイルランドいいなー

 朝8時起床。珍しく朝飯を食べる。「いいとも」(MEGUMIが恥骨を骨折したらしい)までだらだらした後、ようやく重い腰を上げる。博論に向かうもすぐに腰砕け。買ったまま放置していたWalter Benn Michaels のThe Shape of the Signifier を読み始める。30ページぐらい読んだところで気持ちが折れる。レトルトカレーを食べる。アメリカ海軍が飼っていた軍事用イルカが先のハリケーンで逃げ出したそうな。なんでも毒矢を放つとか。進んでいるのか、遅れているのか、よくわからないが、風船爆弾的な匂いがすることだけは確か。
 昨日、うちの大黒柱がアイルランド旅行より帰日。イタリア人の自称建築家に執拗に酒を飲まされたとか。本人曰く、誘惑されたらしいが、真偽の程は定かではない。22歳に勘違いされて、随分ごきげんだった。食事はほとんどパンやサンドウィツチだったらしいが、吉田栄作並に無類のパン好きなので影響なし。エール・フランスが荷物を一日行方不明にしてくれた以外はたいしたトラブルもなく、アイルランドの異国情緒を満喫したとのこと。無事で何より。
 上沼恵美子の料理番組を見る。藤岡弘が「きのこのスープカプチーノ仕立て」を作っている。絵的に面白い。相変わらず上沼の合いの手は素晴らしい。料理番組はアシスタントの質で良し悪しが決まる。とんねるずの片割れがやっている番組を見よ。ひどいものだ。徹子の部屋、今日のゲストは「かしまし娘」。シブイ。例の口上をやっている。珍しく、徹子も押されぎみ。芸歴50年、いまだにかしましい。
 

The Shape of the Signifier: 1967 to the End of History

The Shape of the Signifier: 1967 to the End of History

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シニフィアンのカタチ』を40ページぐらいまで読んで飽きる。冷戦後の対立は、イデオロギーの対立ではなく、アイデンティティの対立になった。要は何を信じるかではなく、おまえは誰か、というのが差異の指標になったのだという。そして、その後アイデンティティは可変的か、固定的かという論争が現れたが、それはMichaelsによれば、その違いにもかかわらず、アイデンティティが何よりも大事だ、という左翼、右翼両方のコンセンサスの顕れなんだと。それに注目すべきは、Leslie Marmon Silkoが人種=民族を基礎としたナショナリズムを信奉していて、Arthur Schlesingerらがアメリカの自由主義の精神を基盤としたナショナリズムを提示している、という箇所。後者は前者の人種ありきのナショナリズムを否定するのだが、アメリカ例外主義は普遍主義的なので、結局その他の国々を巻き込んでしまう以上、違いが示せなくなってしまう。つまり、自分たちはアイデンティティに基づいて議論しているつもりでも、なんとなくイデオロギー論になっちゃてる、ということ。自分は、Schlesingerの論(The Disuniting of America)は典型的なrace-blind論(マイノリティの異議申立てを排除するために人種を否定し、国家を優先的に考えなさいという思考)として理解していたが、Michaelsは、Schlesingerの論をイデオロギーからアイデンティティへと力点が変遷していく場として読む。Michaelsは、Schlesingerのアメリカの「信条」を「文化」へと読み替え、結局Silkoの “ethnonationalism” と差がないものにしていく。なるほど、Michaelsのやりかたはよくわかった。「一見対立しているけど根は一緒」論法だな。レトリカルすぎる感が。頭の体操にはなるけど。コンセンサスを重んじるCharles Taylorの「承認の政治」(politics of recognition)同様、権力を埒外に置くと、批評の力が失われてしまうように思う。まあ、権力ばっかり論じるのも、確かにしんどいけど。Michaelsいわく、冷戦終結をきっかけとしてイデオロギーからアイデンティティへと力点を変えるのが、posthistoricistの言説なのだ、というのはひとまず確認。