とっちゃんぼうや

 昼前に起床。村上ファンドのトップと阪神電鉄のトップが会談するという。大した進展はないだろうに、随分な騒ぎようだ。「とっちゃんぼうや」みたいなおっさん追っかけまわして何が面白いのか。「2時ワク」でそのまんま東がやたらと大阪を持ち上げているのが気になる。だいたい、おまえ宮崎出身だろ。面汚し。いや、ただ禿げ散らかっとるだけか。

アメリカン・マインドの終焉―文化と教育の危機

アメリカン・マインドの終焉―文化と教育の危機

 アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』をぱらぱら。1987年に発売されるや大ベストセラーになった時代を代表する一冊だが、レーガノミクス花盛りのこの時期に誰が挙って読んだか言わずもがな。左翼と右翼の間に立ってリベラル・ヒューマニズムの立場から大学のあり方について論じているように見えながら、内容は知識に埋もれた老人の戯言。ギリシャ哲学をこよなく愛するブルームの目には、ロック音楽は若者の想像力を減退させ、彼の大好きな哲学に対する情熱を奪ってしまう。「差別是正措置」(訳では「積極行動」となっている)は、大学の混乱を呼び、高尚な西洋文化に比べて低俗な黒人文化を教えることなどブルームには思いもよらない。若者のやることはことごとく気になるが、自分はそんな俗世とはかけ離れた高尚な大学人という立場を崩さない。若者の過激さをたしなめるのは常に大人の役割だが、ブルームのように全く自分と関係のない文化として若者文化を規定してしまうのは傲慢以外のなにものでもない。ブルームの論に頻繁に出てくるのは「変化」という言葉である。要は自分が変化についていけてないのだ。真に大学人であるならば、若者の耳を塞いでいるウォークマンをはずさせるほど魅力のある授業をすべきだ。彼の大好きなギリシャ哲学を「変化」にさらされても魅力的なものであることを伝えられない以上、もはやブルームは現場で働く資格を欠いている(ギリシャ哲学のせいではない)。それを若者文化(マイノリティ文化も含む)のせいにするのは本末転倒も甚だしい。
 年輩の大学人の中にも常に時勢を伺い、自分の態度や研究の内容に修正を加えようとする偉大な先輩は多い。ギリシャ哲学という大昔の哲学が今も生き続けているのは、時勢の中で古い学問体系を常に刷新する勇気を持った学者の所作だ。これはご都合主義では決してない。ルイ・アルチュセールはこれを「認識論的切断」と呼んだ。アルチュセールマルクスの主張を極端に単純化したマルクス主義が横行する状況が許せず、マルクスに立ちかえった。しかし、彼はマルクスという過去の遺物を復活させたのではない。マルクスの主張の中で使えるものと使えないものを弁別し、長所を生かし、短所を補う新しいマルクスの姿を衆目に提示したのだ。アルチュセールマルクス哲学にアクチュアリティを取り戻した。同じことはフロイトを読みなおしたラカンにもいえるし、レイモンド・ウィリアムスの批評を最大限生かして「対位法的読解」を提唱したサイードにもいえる。サイードは、理論は旅をする、といった。時間や空間を異にすれば、理論もまた必然的に姿を変える。「変化」を恐れないこと。それこそ真の大学人であり、学者ではないか。(ブルームの与太話からなんでこうなったのかよくわからないが、ブルームの本も真面目に笑える面白い本なので、推奨。)