「イチロー・ジャパン」?

 だらだら。WBC、日本が優勝。松坂はスライダーが高めに浮き気味で、調子はそんなに良くなかったと思うが、チェンジアップを代わりに多用することでうまく切り抜けた。MVPもまあナットク(ある意味「メキシコ」こそMVPだと思うが)。キューバは戦前「スモール・ベースボール」に転換している、とのことだったが、どこが「スモール」なのかさっぱりわからなかった。日本が終始リードする展開だったからかもしれないが、キューバ送りバントや進塁打を試みる気配は微塵もなし。豪快な打撃で一点差まで追い上げてくるキューバの地力の凄さをまざまざと感じさせられた。それにしても、イチローの喜び方にも感じることだが、メディアの「イチロー・ジャパン」的な持ち上げようには違和感を感じる。成績だって、安打数なら松中の方が上だし、ホームランだって多村の方が上。やる気なんてみんな持ってて当然なわけで、いくら目立った発言(いつぞやの加藤哲郎になりかねないところだったが)をしたからといって、あのチームを「イチローのチーム」にしてしまうのはいかがなものでしょう。確かにイチローも頑張ったけど。
 それどころか、根本から否定しちゃうのもなんなんだけど、今時新しく国別対抗戦なんか始める必要があるのかどうか。サッカーのワールドカップだって、ヨーロッパではチャンピオンズリーグの方が人気が上だったりするわけで。WBCなんかより、クラブチームの世界一決定戦をやったほうがいい。本気で世界中にベースボールが広まる、って思っているのなら別ですが。
 しかし、毎試合毎試合、当事者でもないのに、アメリカ国歌が派手に演奏されるのを聞いていると、ベースボールは「アメリカニズム」そのものなんだと思う一方で、その決勝に当のアメリカがいないのを目の当たりにすると、WBCというのは「アメリカニズム」が肯定的な意味で変奏されていく場なのだな、と思ったりもする。ベースボールはもはや「アメリカニズム」が一元的に顕在化する場なのではなくて、それが形を変えて多元的に表現されるダイナミックな磁場なのではなかろうか。言い換えるなら、アメリカはベースボール=「アメリカニズム」を教えるという特権的な立場にはもうおらず、逆に様々に変奏される「アメリカニズム」を学ぶ立場にいるのではないか。それに当のアメリカが気付いているかどうかはまた別の話だけれども。
 全然関係ないが、「チーム・アグリ」、何の意味もないので早く解散して欲しい。F1って、何かしらのフォーミュラがあって、(資金力などの差はあるが)平等な条件のなかでみんなが競うわけでしょ。「国家」っていう別のフォーミュラを勝手に持ち込んで何がしたいのかが分からん。協力しているホンダも、「日本の本田」よりも「世界のHONDA」の方が絶対に宣伝になると思うんですが。なんで、1つの所与のフォーミュラがあるのに、別の規格が必要になるのか。他のチームはそもそもそんな「規格」は参照していないわけでしょうが。日本だけが(というより「チーム・アグリ」だけが)熱くなって「日本のために」とか言っているのはかなりサムい。(日本人の)他に優秀なドライバーいっぱいいる。もっと優秀なディレクターだっている。速く走るのが目的なはずなのに、それに「純日本製」で、なんていう別の目的付け足して、それが自己満足だっていうことに気付かないのでしょうか。いやいや、それでもこれから這い上がろうとしている佐藤琢磨、陰ながら応援していますよ。