春爛漫、僕ルンルン

 
 満開かな?いよいよ春到来です。今年も4分の1が経過。速いなー、時が経つのは。

 読書、論文いじり。
 昨日の関西の右翼手、かわいそうだったなあ。でも、致命的なエラーを犯しても、9回裏の打席に立たせる監督の心意気が素晴らしい。それにナインも「積極的な守備の結果だからしょうがない」とかばうあたり、人間ができてます。甲子園ならではの「敗北の美学」を垣間見た感じ(それが年寄りを「きもち」若返らせる「甲子園」の言説でしょうか)。不祥事は勘弁。
 昨日の毎日新聞の夕刊に、小林よしのりに関する記事を発見。小林よしのりのマンガを「ブログ型のマンガ」と定義するあたりよくわからなかったが、小林が白内障の手術を受けたというところに注目。目の手術を受けるとは聞いていたが、白内障だったのか。目を酷使する仕事。自分も研究以外でもいろいろと目を酷使している人間なので気をつけねば。もうすでに裸眼になると文字通り「五里霧中」状態ですが。いや、比喩的な意味(というか本来の語法ではこっちが正しい意味)で「五里霧中」状態という紛れもない事実の方が困りものです。
 
 

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝る前に読む。たいてい二晩かけて一冊の文庫本を読むのだが、今回は内田樹の口車にまんまと乗せられて見事完走してしまった。だって上手なんだもの。何が上手かというと、喩えが上手。レヴィ=ストロースの二分法的手法を二進法で喩えたり、バルトのテクスチュアリティの概念をリナックスオープンソースに准えたり。本当かどうかはさておいて、非常に読ませる文章です(異論を挟むなら、鏡像段階「鏡」はあくまで比喩だとは思いますが)。それから、「こぶとりじいさん」の話も出てきます。こぶをつけられちゃう方のじいさんがなんでこぶをつけられるのか、という理由はやはりないようです。理由がない、つまりその不条理が「父の名」の原理であり、「私」を象徴界へ参入させ、母子一体の癒着を切断する、ということなのだそうです(しかし、「『爺さん』たちは「こども」なのです」(191)って随分強引な感じがするけど、これが内田流)。おもろい。やっぱり内田樹は崇め奉るに相応しい「現代の語り部」です。さらさら読めます。