愛国心

 久しぶりに早朝ランニング。なぜかトータル2キロ減の68キロ。しかし、パッとしない天気。いい加減カラッと晴れてくれないもんか。嫁が飲みに出たので、今日はカップ焼きそばとチンしたご飯で夕食。至福のひととき。
 読書、その他。
 教育基本法改正論議で、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言で「愛国心」を定義することにしたらしい。随分マスターワードを並べましたね。それが何かの意味を喚起していた時代は、もう過ぎ去ってしまったのに。国民国家の癒着を堅固なものにしたい、というおじ(い)さん連中の心意気は分からんでもないが、どうあがいてももう無理ですぜ。やるんなら伝統や文化というポジティヴな連続性だけじゃなくて、それに戦争責任や同化政策といった負の連続性も加えないと。これからの国家は、そういう正負双方の連続性が想像される場になってもらいたいものですね(それがアジアで生きる国家の正当な国益ってものです)。そして国民は、国家と連続していると同時に切り離されてもいるという曖昧な位置を利用して、国家を批判していかないと。国家の側の人間は、永遠にナショナリストであっていただかないと困る(自分たちの私益に走っちゃったら困る)ので、頑張って「愛国心」を称揚していただきたい。ただし、国を愛するということは国の嫌な部分も見なくちゃいけないっていうことで、そんないい部分ばかり見て永遠に続いていく理想的な恋愛関係なんか存在しないわけで(一時の熱にほだされた「ひと夏の恋」ぐらいのもの)。てことは、国を批判するのも彼らのいう「愛国心」に含まれるのでしょうか。「愛国心」がない、つまり国のあり方に関して無関心なのは困る、というなら話は分かります。おー、「愛国心」って意外と政治的なポテンシャルを秘めた言葉なのかもしれない。定義された言葉って、実践において使われれば使われるほどその枠組みを変えていくものなので当然ですが。

 追記:そういえば、将棋の名人戦の主催者を毎日から朝日に移管するという問題もありましたな。あまり背景に関して詳しくないので、偉そうなことはいえないのだけど、結局のところ金の問題のようです。将棋人口はどんどん減る一方なので、協会が条件のいい方に移りたいと考えるのも分からなくもないのだけど、いかんせん朝日の条件提示は危険すぎる。5年間は毎日よりも条件がいいけど、その後は収入が減るかもしれない。なんにせよ将棋界最高のタイトル戦なのだから、ちゃんと考えた方がいいと思います(毎日でいいとおもうんだけどなーって、自分が毎日の読者だからいっているのだけど)。それはそうと、名人戦の挑戦者決定戦、羽生対谷川は凄いバトルでした。いや、あくまで素人目からの戯言ですが。