翻訳者の使命、というより翻訳者へのお願い

 早朝ランニング。雲ひとつない快晴。読書。余りもののひき肉とナスを中心に炒め物。たまにはピリリと辛いのも元気が出ていい。外では、中学生あるいは高校生がアホみたいに50メートル走の練習を繰り返している。朝の9時から夕方までとっかえひっかえ連続でやるのは勘弁して欲しい。が、やらされてる学生はもっと気の毒だが。マイク使わないでくれないかなー、とマイク使って訴えたい、そんな衝動に駆られる。
 
 

モダニズムとハーレム・ルネッサンス―黒人文化とアメリカ

モダニズムとハーレム・ルネッサンス―黒人文化とアメリカ

ジュンク堂で見つけてびっくりした。アメリカ黒人文化・文学批評のパイオニア的存在でMLA会長やAmerican Literature 誌の編集長を歴任するHouston A. Baker Jr.の本邦初訳。黒人文化・文学批評関係の優れた研究書が訳されることは、この翻訳大国日本においてもそうあることではないのでこうした仕事は大歓迎。「あとがき」を早速繰ってみたが、Homi K. Bahbaを型枠として黒人文学批評をポストコロニアル批評に接続してBakerの批評の歴史的意義を確認する非常に素晴らしい分析となっている。"Race," Writing, Difference あたりから黒人文学批評とポストコロニアル批評の親和性が認められてきて、BahbaやGilroyの仕事がそれを補強してきた、というのが John Cullen Gruesserの巨視的な回想(ただしまだ両者の関係の見定めは不十分とおっしゃっておられたが)だったわけだが、そうした流れはもはや不可逆のものとなった感すらある。ただBakerの場合、あくまでもアメリカ黒人、とりわけ南部の問題を再三指摘してきたわけだから、あまりポストコロニアル批評に引き付けられる形で一般化するのも危険な気がする。ポストコロニアル批評の一般化の力に抗いながら、その長所を吸収することで、黒人文学・文化批評の偏狭さをこじ開け、突破口を作ってもらいたい。両者の交渉に有意義な効能があるのは、もう間違いのだから。以下の著書、特に一番上の論集はGates, Spivak, Derrida, Todorovなどなど強力な面子が揃った最重要文献なので、近い将来訳されるといいなあ(部分的には訳されているだろうけど)、と。
Race, Writing and Difference (Critical Inquiry Book)

Race, Writing and Difference (Critical Inquiry Book)

Blues, Ideology and Afro-american Literature: A Vernacular Theory

Blues, Ideology and Afro-american Literature: A Vernacular Theory

Turning South Again: Re-Thinking Modernism/Re-Reading Booker T.

Turning South Again: Re-Thinking Modernism/Re-Reading Booker T.

The Signifying Monkey: A Theory of African-American Literary Criticism

The Signifying Monkey: A Theory of African-American Literary Criticism

 
月曜社の「近刊」を見ると、どうやらPaul GilroyのThe Black AtlanticSmall Acts が訳される模様。この辺のカルチュラル・スタディーズに直結する著書は、これから訳されていく傾向にあると思う。大歓迎。

The Black Atlantic: Modernity and Double-Consciousness

The Black Atlantic: Modernity and Double-Consciousness

Small Acts: Thoughts on the Politics of Black Cultures

Small Acts: Thoughts on the Politics of Black Cultures