サッカーとイタリア幻想

 読書、その他。
 キリンカップ、日本対ブルガリア。さんざん嫁に「7時からだから今日は早く帰って来いよ」と釘を刺しておいて、嫁が帰ってくると自分はネット将棋をしている体たらく。忘れてました。慌てて酒の肴みたいな晩飯を作るも、その間にまさか先制されるとは。またもやゴールをリアルタイムで目撃できず。リプレイで見るが、すさまじいスルーパスが通っちゃいましたね。ありゃしょうがない。
 結果、相変わらずの決定力不足に泣かされ、1−2で敗戦も、内容は最近で最高でした。中盤の守備の意識が高く、FW陣も前を向いてひたすら勝負。失点は運が悪かったと思えばいい。点が入らない、というよりなかなか枠にシュートが飛んでいかないのは結構深刻かもしれないが。村井はかわいそうな結果になってしまった。間違いなく十字靭帯あたりが逝っている感じがしました。選手生命に影響しなければいいのですが。佐藤はもうちょっと早く出して欲しかった。長谷部はあせりすぎな感じ。玉田はフィニッシュだけ。小野はもうほとんど万全に戻りました。宮本は不安。久々に内容のある試合だったような気がしました。
 
 

イタリア的考え方―日本人のためのイタリア入門 (ちくま新書)

イタリア的考え方―日本人のためのイタリア入門 (ちくま新書)

イタリアに対する幻想を根こそぎブッコ抜こうとする好著。オリエンタリズム批判やギアーツの文化分析などを引用しながらも、晦渋になることはなく、極めて平易に明快に論じられている。そもそも本物のイタリアなんて存在しない、とか、イタリア人というカテゴリーはない、なんていう論調も、国民国家論からいえば当然なわけだけども、意外にイタリアに対しては自分自身そういう幻想を拭いきれていなかったことを痛感。階級格差が南北問題として顕在化し、北部の独立なんていう過激な主張もあるらしい。出生率は世界でも最低を記録し、家父長が強いというのも幻想なのだそうだ。もちろん、幻想を打破するという目的に貫かれた同書もまた<多様性のイタリア>という幻想に憑かれている可能性を完全に退けるわけにはいかないのだけども、少なくとも多くの日本人はイタリアに対してかなり無批判的な幻想をもっている、といえる(俺だけかも)ので、一読の価値はありかと。イタリアの幻想を打破すると同時に日本研究者らしく、日本における沖縄やアイヌ、在日の存在を指摘し、日本に対する幻想にも刃を向ける辺りもなかなかいい。proof readingを引き受けた井上太郎さん曰く、本書は当初もっと洗練された文章だったらしく、新書という形態を考えて易しくするよう助言したのだという。日本語を30年近く学んでいる私の沽券に関わる(そんなものとっくに失墜しているのだろうが)。著者ファビオ・ランベッリは、山口昌男の弟子で、密教曼荼羅記号学的に解釈する研究をしているそうな。なにがなんだかまったくわからないが、とにかく凄い。アルゼンチン人の約半数はイタリア系らしいが、その辺の分析はこの辺を読めばいいのだろうか。
ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か (historia)

ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か (historia)