笑えない大英帝国

 祖母の逝去に関連して、神道では「49日」ではなく、50日祭というものを執り行うらしく、実家に帰省することに。スーツやら靴やらカバンに入れて、サンダル履きの常夏ファッションでいざ南方へ。本屋で車中の暇つぶしになる本を物色し、カフェで一服、特急列車に乗り込む。

 

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

 一冊目。ジプシーについて概説した本。ではジプシーとはなんぞや、と問うてみるも、結構難しい。出自や言語、宗教や習慣などジプシーを包括的に定義する要素は見つからない。今でも推計1000万人が世界中に散在していると言われているものの、「ジプシー」、または「ロマ」と呼ばれる人たちがそう一括りに呼ぶ人たちに比して、一枚岩的な団結心を抱くことはないようだ。もともとジプシーという言葉は、「ギリシャ人」に由来する言葉のようで、主に異教徒に対して使われていた。歴史上、為政者にとって都合の悪い人たちは十把ひとからげに排斥の対象になり、ひとつの名称を与えられることがままある。ジプシーというのも、事後的に構築されていった便利用語と考えて間違いなさそうだ。また、「ロマ」の言語、「ロマニ語」(使用しない人もいる)は、インド近辺に由来する言葉であることが言語学的に判明している。けれど、それ以外の起源探究の試みは挫折している、というよりほとんど試みられたことがないというのが現状のようだ。本書は、いまだロマン化の域を出ていない本邦の「ジプシー」記述の中にあって、新境地を切り開く一冊である。PCな盲目を否定し、「祖先がどこから来たかではなく、その独特の社会存在形態がいかにして形成されたかを問うという意味での起源論」を採用する著者が記す本書は、豊富な知識と柔軟な思考力に支えられている。
 内容についてはこれ以上書かないけれど、素人目線での疑問として、Huck に出てくる「王様」と「公爵」は、実はジプシー表象なんじゃないだろうか、と思ってみたりもした。ジプシーの人たちは、迫害の歴史の中で自己組織化を徹底し、「公爵」や「伯爵」なんていう通称の指導者に率いられていたというし。ジプシーに関しては、実情というより、風説が強い影響力を持っているので、グレルマンの疑似科学とボローのロマン主義的ジプシー観あたり、Huck と絡めてやってみると面白いかも。というのは独り言で、この程度のことはとっくにやられているのだろうし、よしんばやられていないのであれば、やってみたけど面白くなかった、というようなことなのかもしれない。ただのアイディアです。

 笑った。が、途中で笑えなくなる。半分ぐらい読んだところで、スーツを入れた袋がないことに気付く。慌てて車中を駆けずり回るもあるわけもない。車掌さんに事情を説明して、乗換駅に落し物がないか問い合わせていただく。結局、この時点では出てこず。実家に到着してから、冷静に記憶の糸を辿る。嫁にも電話。すると、思い出す。カフェだ。嫁に電話をしてくれ、と電話。するとものの五分で見つかる。結局、「50日祭」は親父のスーツで出ることに。だんだん笑えなくなってきた。世が世なら、閉鎖病棟行きの深刻な病なのかも知れん。実家についてから本書の残り半分ほどを読み進めたが、なんせ著者は「笑えない読者」を排除する書き方をしているものだから、だんだん落ち込んでくる。「笑えない読者」にも逃げ道を、そして慰めを。『笑う大英帝国』を読んで落ち込むのは私だけか。著者にまで笑われているようで、気分が悪い。