「出会い」と「タイミング」

 読書、その他。最近生活が昼夜逆転して、すっかり夜型に。だが就寝時間が徐々にずれてきているので、この分なら今週中に一周するだろう。晩飯はゴマサバのコチジャン(みそ)煮。
 主夫生活も約半年が経過し、ようやく料理洗濯の類が日々のルーティンになった気がする。けれど、掃除だけはどうも無理なようで。我が家の場合、掃除は常に大掃除を意味する。腰が重いのだ。最近では腹も重い。なにはともあれ、ものぐさな私がここまでマメ(?)になったのだから、岩崎恭子的に自分を褒めてあげようと思う。
 
 

歴史を学ぶということ

歴史を学ぶということ

 ハーヴァード大学教授にして、日本人で初めてアメリ歴史学会の会長に就いた歴史学者入江昭の個人史と歴史研究に対する思いが綴られている。寡聞にして知らなかったが、国際関係論や外交史の分野では、かなり有名な学者なようだ。終戦の4日後から60年(!)続けて書き溜められた日記をもとに、幼少時代、そして渡米、50年に渡るアメリカ生活を語る個人史が前半部。戦後のアカデミアの記録でもあり、純粋に留学体験記としても読める。ただ、日本で3人やハーヴァードで3人という恐ろしく門戸の狭い奨学金選考レースをことごとく突破してきたことからも明らかなように、一般人の留学とは桁が違う。しかも、D論を2年で仕上げ、そのままハーヴァードで教員生活をスタートさせている(テニュアではない)。並みの才能ではないのは傍目にも明らか。自身の人生の転機となった様々な人格者との出会いが印象的。著者自身、かなりの人徳の持ち主なのであろう。教員生活についても紹介されている。後半は著者がどのような研究をしてきたのかがごく簡単に記され、その基盤となる著者なりの歴史観、そして今後の世界を見る著者なりの展望が示される。テロや近年のアジア情勢についてのコメントもある。興味深いのは、自身の人生のキーワードともいうべき「出会い」と「タイミング」に注目して著者が歴史を読み解いているという件(108)。何かと何かが出会わなければ歴史にはならないし、時代を超越して同じように見える出来事でもその出来事は「タイミング」によってある種の特殊さを帯びる。歴史の中だけではない。歴史とそれを眺める学者の視線も「出会い」と「タイミング」によって変容する。長い間研究の世界で培われた著者の洞察力は、研究と日々の生活が密接に連関する様を見逃さない(=日々だらだら過ごすと研究もぐだぐだになる)。大いに刺激となった。と同時に、尻をバットで殴られた気がした。良書。