テポドン?いえいえ、そんなことはありません

 読書、その他。奴隷制史を巡る論争を整理。一次資料のPrefaceやacknowledgment、Introductionは、誰に向けて書いているのか、何のために書いているのか、を明確に語っているので、丹念に。争点が浮き彫りになっている箇所は特に大事。そして、その争点の向こう側を徴候的に読解。書き流す。
 書くのに飽きたら、ファミレスで読書。そろそろ店員さんが「おタバコは吸われますか?」と聞いてこなくなる。買い物。イカイワシを、ナスのミートソースと羊飼いのパイを嫁が作ったときに残ったひき肉と和えたパスタ。好評。パスタは簡単で、しかもウケがいいから効率がいいなあ。
 夕飯を食べていると、外で爆発音が。随分続く。なんだろう、と外を見るがよく分からない。爆発音がするたびに家が若干揺れる。一時間ぐらい続く。多分、花火だと結論付ける。しかし、ベランダに出ても見えない。方向が逆なのだろう。かなり近いところで打ち上げているのにもかかわらず見えない花火。そんなもの、ただの騒音です。

 

American Crucible: Race and Nation in the Twentieth Century

American Crucible: Race and Nation in the Twentieth Century

 この手の本としてはかなり優等生的なまとめとなっている。排除と包摂の言い訳として人種を利用する "racial nationalism" と、国家が市民の権利を保護する福祉国家的ヴィジョン(ゆえに共産主義と親和性がある)"civic nationalism" とを合弁した概念、 "the Rooseveltian nation"に20世紀のナショナリズムを求める。1960年代以降、この "the Rooseveltian nation" はその役目を終え、今度は多文化主義キリスト教右派の軋轢、さらには前者の内的分裂、すなわちソフトな多文化主義とハードな多文化主義との間の緩やかな分裂へと、アメリカ像は更なる細分化の様相を呈し始める。
 この本の特徴としては、①市民ナショナリズムの強調、②ナショナリズムと戦争の関わり、の2点が挙げられる。前者は人種一元論に対する批判であり、後者は穿った見方をすれば、9・11以降の世界情勢を多分に考慮した批判的視点であるのかもしれない。②に関しては、特にベトナム戦争ナショナリズムあるいはナショナリズム批判に与えた影響力の大きさが強調されている。非常に分かりやすく書かれているので、斜め読みでも頭に入ってきます。良書。