シュート30本、撃つだけまだまし

 読書、その他。モノノフ氏と代表戦をテレビ観戦しながら田舎料理の店にて夕食。(まったくありがたくない)物忘れ機能つきの私の脳がコケにされる。結婚式準備も佳境の様子。お互い頑張りましょう。代表戦に関してはあんまりちゃんと見てないのでノーコメントで。決定力不足は今に始まった話でもないわけなので、シュートをたくさん撃ったというところだけでも評価してみよう、と自分に言い聞かす。
 
 

 怠惰かつ煩悩塗れの生活を送る私にとって、小谷野が勧める「寝ても覚めても読書」という勤勉あるいは「清貧な」評論家生活はまあ端から無理というのことぐらい分かっている。むしろ、評論家など望むべくもない私はこの本を、小谷野がどのように地歩を固め、いかにして現在の地位を得たのかを物語るある種壮絶な自伝として読んだ。
 評論家生活と結婚生活は矛盾する(つまり結婚しているとあそこ行こう、ここに行こうとゴネられ、本を読む寸暇を失する)と断言する一方で、評論家につきものの論争に関わるときには、妻の内助の功があれば、と内心孤独な身を恨んでみたりもする。そんな些細な矛盾を吹き飛ばすのが、小谷野の強烈な成り上がりストーリーである。詳細は省くが、おそらくこれくらいのルサンチマンを内に抱え、またそれを論敵に対する憤怒に変える強烈な自我がなければ、評論家なんてやってられない商売なのだろう。しかし、その自我はきっと安易に口に出せるほど単純なものではない。深奥で渦巻く、あるいはトグロを巻くその自我の複雑さと可変性が、小谷野の敵を絶えず生産し、また同時に小谷野のファンを引き付ける。それが小谷野の危うさであり、また魅力でもある、とかなんとか思う私は変だろうか。とにかくおもろい。