決断力

 読書、その他。コンビニ生活もこれで最後。一平ちゃんでシメる。
 そういえば、どうやらオリンピック開催都市の日本代表は東京になりそうな雲行き。都市の知名度からいって、福岡に勝ち目はどう考えてもない。始めから結果の見えたキャンペーン合戦だったような気がしてならない。個人的にはいまさらオリンピックを招致することにどんな意味があるのかさっぱり分からないので、まあどっちでも良かったといえばそうなんですが。福岡は、とんでもない借金抱えているわけだし、近くだったら見にいけるのに、とかいう安易な理由で賛成する気にはなれない。だからといって、東京オリンピックよもう一度、みたいなノスタルジックなヴィジョンにもまるで触手が動かない(ヴィジョンでいったら、福岡の圧勝だと思います)。結局は知名度と財政力の争いになって、東京の勝ち、ということになるのでしょう。
 2016年の夏まで石原が都知事をやっているなんてことはないだろうし(やってたらそれはそれで怖い)、最終的に東京が開催できる保証はどこにもないわけなのでこれが石原の手柄になるかどうかはまだわからない。けれどこの一件が石原都政の歴史の一ページに書き込まれることは間違いない。なんたって言ったモン勝ちですから、政治の世界は。誰も言ったことやったことがないことをやるというだけで、人心はあっさりつかめる。今までの政治がいかに古かったか、いかに間違っていたかを白日の下に曝し衆目を集めるには、旧来の手法をくどくど批判するよりも、旧来の発想では思いつかないようなことを「やる」と言ったほうがはるかに効果的。結局、今の政治家に求められているのは批判力よりも決断力なんでしょう。
 石原がどうして知事になり、次期総理候補として名前が挙がるほどに注目を集め、評価されたか、といえば、それは彼の決断力抜きに語ることはできないでしょう。なんでもかんでもやるといったらやる。どんなに批判されようとやる。最終的にそれが実行できたかどうかは問題ではない。実行すると言ったことが重要なのだ。実行できなかったときでも、実行すると言った人に批判は集まらない。それを阻止した人たちが批判の対象になる。「やる」と言った人は、こうして「やる」といい続けることで一人勝ちの構造をより強固なものにしていく。反対にいうなら、石原は「やる」と言わなくなったら批判され、干されるということだ。だから、石原はとにかく「やる」と言いつづける。決断力が批判力や実行力とは何の関係もないことを隠蔽しながら。今回の「東京オリンピック」も「やる」の一環なのでしょう。急造のヴィジョン(国威発揚)のお粗末さから察するに、「やる」といわざるを得なくなっていっちゃった感じですか。
 それにしても、「やる」と言いつづけることで維持される石原の決断力神話は、随分一方的な感じがする。だって、彼は「やらない」とは言わないのだから。私は「やらない」というのも立派な決断だと思うのですが、どうもそれは一般受けしない決断力らしい。まあ、私のように「やらない」決断を重ねすぎて袋小路でどん詰まりというのも、それはそれで問題だと思うんですが。ともあれ、「やらない」っていうのも少しは評価されてもいいのではないですかねえ。
はぁ、またつまらぬものを斬ってしまった。