闘犬

 失礼して観光。桂浜も大変美しかったが、メインは闘犬。年に4度の全国大会開催中という偶然。多事争論メタ言語戦争も捨てたものではないと思うが、やはりリアルファイトには敵わない。もっとも、なんでもアリではないらしい。ルールはかなり厳格に存在していて、人間のリアルファイト以上にスポーツの要素が濃い。
 もちろん、見た目や匂い、雰囲気は迫力満点だし、闘犬は犬というよりも別の生き物のようで、フリークショウの世界のような怪しさはある。けれど、中身はもっと普遍的なもので、勝負を決するのは、闘犬の闘志。勝負が決するまで、闘犬はテクニックの限りを尽くして相手を打ちのめそうとする(脚が狙われていると察知したら脚をひき、脚をとられないような態勢をとりながら、相手の脚を奪いにいくといったあたりのテクニックは、相撲のまわしの取り合いとか、ヴァーリ・トゥード系のポジションの奪い合いを想起させる)。しかし、どちらか一方の身体が戦闘不能になることで勝敗が決するのではなく、精神的動揺や闘志の欠如が露見することで勝敗は決する。より具体的には、声。声を発した時点でその闘犬は負けとなる(開始1秒未満で声を出して負けた犬が2匹ほどいた。司会者然とした方が冗談めかして「動物愛護法で訴えますよ」といっていた。そいつは闘犬じゃない、愛玩動物である犬を連れてくるな、という含みだろう)。「弱い犬ほどよく吼える」「負け犬の遠吠え」とはよく言ったもので、犬にとって声を発することは相手の方が強く、そして自分が相手に対して恐怖していることを端的に認めるに等しい。だから、強い闘犬はどんな状況でも声を上げたり、諦めたり、決してしない。そういう意味では、寝技オンリーでギブアップを狙うアブダビ・コンバットに似ているのかも。なんでも、幕末に武士道精神を称揚すべく闘犬は始まったらしいが、まさに闘犬はそういう目に映らないわかりにくい美徳を表現する格好の道具だったのだろう。そう考えるとキャンキャンよく吼える「ナニワの闘犬」というのが、いかにおかしい呼称なのかがよくわかった。
 すさまじい気迫で相手をぶちのめしに行く闘犬も、普段はおとなしいらしい。黒目がどこかいってしまうほど眼光鋭い闘犬の両目が、試合途中、疲れ果てて舌を出してはあはあぜいぜいいっているときに、とろんとした犬の目になる瞬間が面白い。
 特急、新幹線を乗り継いで帰宅。