100選

 もろもろ。ゴマサバ茶漬けその他。
 最近、我が家では「ブロックス」(http://www.irem.co.jp/official/blokusclub/index.html)が大流行。サッカー中継を横目で見ながら、沈思黙考。脳力低下に効き目があるかどうか半信半疑だが、なんとなく頭の回転がよくなっているような気もする。しかし、いまだに、どうやったら勝ちに結びつくのかわからないところを見ると、脳力にさしたる影響があるとも思えない。まあ、いいじゃんか、楽しければそれで。
 

Erasing Public Memory: Race, Aesthetics, and Cultural Amnesia in the Americas (Erasing Public Memory; Voices of the African Diaspora)

Erasing Public Memory: Race, Aesthetics, and Cultural Amnesia in the Americas (Erasing Public Memory; Voices of the African Diaspora)

 「普遍性」を謳う美学が、「特定」の人々の価値観をもとに美を構築する(と同時にふさわしくない価値観を排除する)人種主義的起源を、美学的に(普遍によって)抑圧することで自らを成立させる、という構築主義的前提を共有して編まれた論文集。

 というのは、まとめると、こんな感じ。

The editors and contributors [...] argure that race has been formative in the development of aesthetics and of aesthetic ideals in the West, that aesthetics has also played a foundational role in constructing race in the socius, even as it has attenmpted to aesthetically erase its own racialized foundations.

 その中の一編、"An Epistemology of Ignorance: Hierarchy, Exclusion, and the Failure of Multiculturalism in the Modern Literary Top 100"は、1999年にthe Modern Libraryが発表した「20世紀小説100選」(http://www.randomhouse.com/modernlibrary/100bestnovels.html)を批判する論考なのだが、うーん、なんともいえない。
 女性ひとりと白人男性9人から構成された10人の審査員が選んだ100作品の、実に87パーセントが白人男性作家の手によるもので、そこには女性や有色人種作家の作品はあわせて13作品しか含まれていない。なので、著者は、この偏向性こそが、人種的・文化的他者を排除・消去することで(白人男性中心的な)普遍性を確立しようとする、19世紀以来続く啓蒙のプロジェクトの残滓であると指弾する(上のような美学と人種の関係を適用した感じ)。「100選」そのものに対する批判というより、啓蒙的理性に対する批判に傾きすぎている感じはするものの、概ね論証はたびたび既視感を覚えるほど緻密なので、まあ納得する。
 しかし、私が首を捻るのは、「100選」は確かに時代錯誤もいいところだとは思うのだけども、その時代錯誤のひどさを(有効に機能していた頃の)19世紀的啓蒙のプロジェクトとあっさり結び付けてしまう時代錯誤。啓蒙的理性が19世紀の頃と同じような形でこのご時勢に機能しているわけがないと、まず思う。現に正規の「100選」の横に並べられた読者が選ぶ「100選」なんかは、見事に正規の「100選」の時代錯誤加減を暴露しているわけだし*1。それに、「100選」はたくさん批判されているし*2フェミニスト系の対抗的「100選」なんてのもある*3。恐怖すべきは甚だしい時代錯誤ではなく、時代錯誤なものをあっさり受け入れてしまう時代錯誤だと思う。
 著者は、最後で、「実践のレベルでは、ある作品を[価値のあるものとして]包摂することに関する政治的な決断は、単に「100選」のようなヘゲモニックな[文化を利用して支配を深めていくような]文化的遺物に対抗するというだけではなく、啓蒙的主体が構築される方法を修正しようとする強い願望に根ざしているべきだ」といっているけども、そういう下地はとっくに出来上がっていて、すでにいろんな面白い「100選」が出てきているように、すでに実践もされているような気がする。「100選」のような時代錯誤を駆逐しなければならない、と吼える以前に、そのような時代錯誤はすでに時代錯誤として認識されているわけなので、怒るよりも哀れむほうが自然ではないかと。だって、「19世紀的啓蒙的理性」を体現している割には、「13作品も」女性作家や有色人種出身の作家の作品を「100選」に入れているわけだし。むしろ、そこに「19世紀的啓蒙的理性」の不安を読み取る方が、私は自然だと思う。*4

*1:読者がトップに選んだのは、Ayn Randというマイナーな女性作家。といっても、アンジーとブラピの映画のおかげで一躍脚光を浴びたわけで、今やこの作家をマイナーと称するほうが時代錯誤なのかも。http://en.wikipedia.org/wiki/Ayn_Rand:title=Ayn Rand

*2:http://www.cnn.com/books/news/9807/21/top.100.reax/

*3:http://www.feminista.com/archives/v2n3/100.html

*4:それはそうと、かつては正典から排除される「他者」であった「ハイ・モダニスト」が、今や正典へと包摂されて、「19世紀的啓蒙的理性」のために奉仕する、というのは随分さらっと書いておられますが、かなり面白いところではないかと。確かに「100選」の3分の1はハイ・モダニストの作品だし、ジョイスなんていくつ入ってんだ、これ。