shall never vanquish’d be until Great Birnam Wood...

 今度の週末はインドア。『ロード・オブ・ザ・リング』の続編と完結編を二日かけて観た。
 西洋の古典や神話、民話から、数え切れないほど引用されている(と思われる)。潤沢な引用の水脈に対して全く鼻の利かない凡庸な私にでも、『マクベス』と『天路歴程』ぐらいはわかる。前者の引用はエントたちがサルマンのいる塔へと捨て身の進撃を敢行し、見事敵を討ち果たす場面に代表される。いわゆる「バーナムの森」が「ダンシネインの丘」に達し、白いマクベスたるサルマンは無力化されてしまう。サルマンがマクベスならば、サウロンはレディ・マクベスといったところか。他にも、人間の男には討つことのできない暗黒の騎士を、猛者に混じって参戦していた女戦士が討ってしまうあたりに、「女から生まれたものには討つことのできないマクベス」を連想させる(厳密には関係ないかもしれないけど)。後者に関していうと、全体的に宗教色が濃い上に、旅の途中何度も指輪のことを "burden" と呼ぶことからも、あの「クリスチャン」の歴程を思わずにはいられない。
 そんなことより、古来、謀議や秘密、陰謀、反乱といったものと絶えず結びついてきた「森」が謀議の舞台となるだけではなく、「森」それ自体が謀議を図り、反乱を企て、それがサルマンの野心をすべて洗い流す「氾濫」を呼び込むという一連の流れに魅入った。エント、とてもいい。彼らの覚悟にやや涙ぐむ(おやおや)。
 他では、過日鑑賞した『300』がまだ記憶に留まっているからなのかどうなのか知らないが、サルマンの混成部隊の中でも、「オリファント」(orientalなelephant?)と呼ばれる巨象に似た動物を操るオリエントな軍団が気になった。事実、「300vs10,000」というような言及もあったし、おまけに巨象を操る兵隊たちは顔にベールのようなものをまとっていたり、きらびやかに着飾っていたりする。ペルシャの大軍と対峙するスパルタ、という物語もここに組み込まれているのかもしれない。
 ところで、フロドとサムの旅の案内人にして反逆者、ゴラムは、この物語の脇役というにはあまりにも強烈なインパクトを残す。一作目ではホビットのおじいさんが担当していた指輪の魔力を外面化する役割を、道中ゴラムが担う。ゴラムはフロドの内面のドラマを分裂した独白という形で劇化する。天候の変化や暗転など、フロドの心象風景を視覚的な風景として提示する歴程の描写と並行して、ゴラムによる指輪の機能の劇化は効果的に働いている。
 欲望の対象=原因として機能する指輪は、単に闇の力を代表するだけではない、と思う。指輪を闇の力と等号で結ぶよりも、闇を可視化する、対象化する力、ひいては世界や人間を光と闇とに分割する識閾として機能するところに指輪のリアリティがあるように思う。たとえば、指輪を指にはめるとき、サウロンが「ひとつ目」として現前する。指輪がもたらすのは闇そのものではなく、闇を見つめる「目」、つまり闇を可視化する力なのだろう*1。指輪をはめたときに現前する「目」は、指輪をしていないときでもどこかに潜在している闇の力に対する恐れや懐疑を効果的に焦点化する。
 加えて闇を可視化する力をもたらす指輪は、人間に闇の部分があるということ、闇の力を欲望するということを単に可視化するというだけではなく、意識されない闇の部分と意識に上る光の部分との間で人間が引き裂かれているという、その解決不可能な断絶自体を前景化する。登場人物の多くが葛藤する人間(あるいは人間をモデルとした種族)であるのは、そういうわけだろう。しかし、そんな厄介な指輪を葬っても、闇の力が顕在化しない、意識化・可視化されないというだけで、人間の内奥に巣食う闇の力は消えないし、葛藤が完全に消えることもない。闇の力そのものはいつでも潜在的に偏在している。いつでも葛藤は顕在化しうる。指輪は、ただその葛藤をわかりやすく目に見える形で顕在化させ、図式化するための手助けをするに過ぎない。闇の力も葛藤は常に残る。そういうわけで、世界に葛藤と闘争をもたらした指輪を棄却した後もフロドの旅は続くのだろうと思う。ちゃんちゃん。
 ぬわ、卒論みたいな素朴な感想だ。というと、すばらしい卒論を書く人に失礼だ。
 ところで、やっぱり映画化するにはある程度限界があるのではないかと思う。細切れに近い。ほとんど物語の展開が追えなくなるぎりぎりのところで踏みとどまってはいる。あるいは映画・DVD・ディレクターズカット版という三段ロケットで儲けを膨らまそうという考えなのか。だとしたら、商魂逞しいというか、なんというか。『スター・ウォーズ』みたいな感じで、5部作にして公開というようなことはできなかったのだろうか。まあ、原作読め、って話かもしれぬ。どうでもいいが、あれはリブ・タイラーだったのか。気づかなかった。

*1:闇の力が具体的になんなのかは、物語上闇から闇に葬られる。特定するよりも、それが見えないというところに主眼があるのだろうと思う。